不安な人事例集

いつもどこか不機嫌な人がいる。話し始めると、自分の話しかしない。聞いて聞いてとなる。口を閉じるということをしない。

そのような人が話すことは、みんなこんなもんという話である。今日はドラマで〇〇を見た、ゲームでこれをやった、昨日のご飯はコンビニだったわ。自分の生活はこんなもんという話を永遠にする。

どこか旅行などイベントがあった時も報告してくる。これがよかったあれが良かった。しかし、それは別に本人が良いと思っていることではない。写真映えしたり、何か有名な場所に行ってすごいと思っているから報告する。

不安な人の周りには、同じような人が集まっている。どこかお節介焼きな人、何かと回避的で努力しても無駄と思う人、いつも不機嫌で当たり散らしている人である。不安な人は世の中そんなもんと思っている。

そんな人の中で、人に対して無頓着な人がいる。人に対して関心がないわけではない。あまり気にしないという人だ。不安な人は、無頓着な人と話したり遊んだりすることがない。何か話しても、物事を白黒つけず曖昧だからだ。また、感情を全面に表に出すというわけでもない。良いのか悪いのか分かりづらいな、根暗なやつなんだと思っている。無口なやつだと思っている。

無頓着な人は、実は安心している人だ。不安な人ではない。不安な人が横でギャーギャー言っていることを知っている。今度はこれを不安に感じたのかな、今度はあれが気になったのかな、と逐一よく見ている。変化に気付いているが、それに執着しようとしない。変化に気づきつつも、自分が得意になれること、静かに熱を出せることに対して取り組んでいる。次はこうしてみよう、ああしてみようと構想を立てていることだけで、楽しく、その世界は色めき立っている。その耳は常に赤くなっており、何かに集中している。疲れたらほっこり休んでいる。

不安な人は無頓着な人がどうして一人でいるのかよく分からない。と言うよりも、それを気にしたこともない。不安な人の周りには、今日もこの後あそこに行こう、これをやろうという声をたくさんかけられる。なぜか仲間がいる。そのような仲間にこたえているだけで、いつの間にか時間が経っている。しかし、そのような仲間は時期によって全く顔ぶれが違う。なぜか喧嘩するからだ。互いに無視したり、あんな奴とどうしてつるんでいたんだろうと思う。自分の気持ちなんてわかってくれない。だけど今は新しい仲間がいる。どんどん付き合う人が変わっていく。

無頓着な人は昔からの友達とその間もたまに話している。今はこれをやっている。あれをやっている。こんなことをやってみたいんだと友達に話す。いいね、と友達はこたえる。友達も今、夢中になっていることを話す。時にはどうしたらいいのだと思う?と聞く。それに対して、まぁ思ったようにやってみればいいんじゃないとこたえる。友達を理由もなく信頼している。うまくいくと思っている。例え、詐欺にあったと話そうと、それはまぁいい経験だったのではない?と捉える。失敗と捉えない。起こったことは起こったことで変わらないことを知っている。それに対して愚痴を言ったり、否定したりしない。

対して、不安な人は詐欺に合うとそれはもう憤慨する。怒り散らす。悲しむ。この世の終わりだと思う。お金を取っていった人のことを心底恨む。憎しみを持つ。否定する。自分は悲劇のヒロインだと思う。毎日精を出して働いていたのに、その頑張りを返してくれと思う。頑張らなければよかったと思う。全てが嫌になる。自暴自棄になる。落胆する。復讐しようと誓う。全ての人は敵だと思う。

不安な人は他責にする。自責にしない。それは大変困難な環境であったため、自然な流れである。ただ、苦しいことに執着しない、囚われない選択をすることもできる。同じく不安な人から距離を置くことだ。ゆっくり休むことだ。頭を空っぽにすることだ。ゆっくり休むと、エゴのない意欲が出てくる。自分が子供のように何かやってみたいと思う気持ちだ。その想いに応えていると、安心する人にいつの間にかなっている。より満たされるようになる。

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