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1週間がはじまって

また1週間がはじまった。人生の夏休み中の私にとっては、曜日なんて関係ないのだが、一応は意識している。

夏休み入りたての時は、何をするにも緊張していた。会社になんて話そう、会社から連絡かかってきたらどうしよう(かかってこないのであるが。どう自分を諭してもそう考えていた)、外に出て会社の人と会ったらどうしよう(会わないのだが。)、この自由な時間をどうしよう。ずっと何かを考え、ソワソワしていた。

そうは言っても、休み初めて1ヶ月は一日中寝てそれこそこれまでの睡眠負債を取り除くかのように過ごしたり、えいやと外に出て高い買い物をしたり、美容室に行ったり、身体をメンテナンスしに行ったりとするかしないかの2択だった。

それもだんだんと落ち着いてきて、今度は意欲に従って動くようになった。しかし、変に健康を意識したり、しなかったりとどこか極端であった。毎朝ウォーキングしようとか、夜は食べないとかルールを決める。しかし無理をするのですぐにそのルールも破られた。

今度は自分の好きなこと、意欲って何だと思い始める。何かやってみても空っぽ。満足しない。夏休みを終えてまた働きはじめても、きっと二の舞になるなと思う。しかしこの生活を続けるものかとも悩む。不安になる。結果、寝付きが悪い。何かに怯える。

形は変われど、同じようなことで悩む人はいると思う。そのような人に対して、そして私に対して言葉をかけるのであれば、"頭を空っぽにすること"である。エゴのない意欲に従うことである。

エゴのない意欲は効果を期待しない。自分が得意だからと選択しない。過去や未来のことを考えない。今やってみたいと思うことを下手でもやる。取り組んでること事態を楽しむ。

すると、ユニークなものを生み出している。愛のあるものを生み出している。それは自分を知らなかった世界に運び、より満たされるようになる。

なぜこうして言い切れるかと言えば、私はこれまで子供のように無邪気でイキイキしてて、冷静でもあり、人とのかかわりも上手な人に会ってきたからである。統合的な人と私は呼んでいる。そのような人は、同じような環境にいても、毎日楽しそうである。自分から行動している。勝手に調べて、試行錯誤し、思いついている。時代を切り開いていく。

統合的な人がしてることは、頭を空っぽにすることである。エゴのない意欲に従っていることである。私はこれをあまりやってきていないが、それが私をより満たされることになることを知っている。自分にこたえようとしている。

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