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あえてイバラの道を進むべきか

努力は報われるという言葉がある。石の上にも三年という言葉がある。どちらも辛くても我慢強く続ければ、いつかは実を結ぶという言葉である。かつての私はこれを疑わなかった。周囲の大人も同じような価値観であり、地道な努力こそ力だと思っていた。

そうして私は努力した。大学で首席をとり理系の研究職についた。このキャリアは私は忍耐して得た。私なりの日々の積み重ねがあった。実を結んで思う事がある。イバラの道は進むべきではない。私に子供ができたら、何でも自分で決めていくのが良いと思う。

話は変わるが、私の母はかつては画家だった。そのうちの母の母、つまり私からみておばあちゃんは恵まれない家の出てあるが、おじいちゃんと結婚して裕福になった。そんなおばあちゃんは母に対して肯定的だった。なんでも好きにするのが良いという形で育てた。そうして母は画家を選んだ。本人は自分は頭が良かったけどあえて絵の道を選んだんだと語っていた。中でもお気に入りのストーリは、先生が孟浩然の春暁を暗唱してみなさい、と母を指したという。その時、母は”春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く〜”と初見の古文を暗唱できたと言う。先ほど初めて見た文章で一度聞いただけであったにもかかわらず、そらんじる事ができたと言う。私もこの道を通った。当時、中学生だった私は、一度聞いて、再びそらんじることはできなかったため、母は記憶力良いんだなといった印象を受けている。私は賢さを有していながらも、感性の世界を選択した母を誇らしく思っていた。すごいなぁと思っていた。なお、今でも思っている。

話は逸れたが、母は美大を卒業し、アメリカの絵の大学まで通っている。そうしたウチの母は、大学教授の卵であったうちの父と結婚した。子供の私から見ると大変恵まれているなと感想を抱く。母方が裕福で感性豊か、父方は文武両道だ。そうした恵まれた母は私を産み専業主婦となった。私の子供の頃の夢は、主婦になる事だった。それは私の目から見て、周囲にいる大人で誰よりも母が満たされていそうだったからだ。しかし、小学校当時、学校の課題で将来なりたいものと聞かれて”主婦”と書いた私は、先生に呼び出されて注意された。”主婦は誰でも結婚したらなれる”と。子供の私は結婚できない人もいるし、主婦だって立派な職業だなどと語った記憶がある。結局は先生はOKしたのだが、大人になった私はわかる。主婦は当時の私の周りで最も満たされている様子の大人である母がとった形であった事を。母の職業を説明するならば”主婦”だったので、主婦という言葉を使った事を。

そのような満たされている大人第一号とも言えるようなウチの母は、ある日おばあちゃんのことを悔やんでいた。母な”なぜウチの母は私に人生のアドバイスをしてくれなかったのだろう”と。歳を重ねた母は絵描きという選択ではなく、勉強すれば良かったと後悔しているようだった。この言葉は、私がサラリーマンなりたての頃にぼやいており、おそらくイキイキと働く娘の姿を見て嫉妬した。母は画家となり稼ぐことの大変さを身をもって体感していた。そのため、豊かな給与で楽しそうに働く私の姿を見て羨ましいと話していた。私はおばあちゃんの価値観と同じで、何でも自分で決めていくことが良いと思っている。ただ、実際にそのような環境で育てられた母は自分の選択を嘆いた。もっと選択肢を見たかった。選択した先にどんな世界が待っているのか教えて欲しかったと。今の私から見れば、これは他責している状態だ。気持ちは分かるが、皆が皆全てを得られるわけではない。母はたまたま育った環境が恵まれている方だが、明日のご飯すら危ういと生活している人はたくさんいる。そのような人たちは早くから社会の仕組みを見抜き、タフに生きている。

私は辛抱強く努力を続けて、できる事を増やした人だ。もちろん自分の意思もあるが、この選択は母の願望を汲んでいる。母は画家などの不安定な道よりも、堅実な道を好んだ。結果、私はできることが増えたが、心は満たされなかった。一時的に社会的ステータスや金銭面で豊かになったことや自分の能力を遺憾無く発揮できる環境じやりがいを覚えていたが、心は乾いたままだった。これがもし、軽視ばかりされてお金も得られず、惨めな想いをしたら所感は変わったと思うが、結局のところ、自分が心から求めていない道を歩くことに違和感を覚えていた。それが日々の生活に現れ、ものすごく意識しないと自分を律する事ができなかった。私はかつて良いなと思っていた母のように、目が輝いて楽しそうな姿にはなれていなかった。なお、周囲の人が私について語れば、明るくて交友関係も広くて、話上手と言う。しかし、これは良い子を演じた結果だ。妙に人の顔色に気付き、周囲に合わせて自分を変えるカメレオンのような私は、愛情飢餓の形そのものである。ただ、大人になりそれを巧妙に隠す技を心得ているだけである。不安な自分を隠す事が息を吸うようにできるようになっただけである。

しかし、努力を続けた先に見えた形がある。それは満たされた人の特徴だ。私の取り組んだことは、心からトキメクものではなかったため、やっていて疲れた。好きこそものの上手なれという形で、気づいたらやっているという状態にはならなかった。常に、気合いで嫌々重い腰を上げて取り組んでいた。そのような先で出会った、子供のように目が輝いて、社会の変化によく気付きつつも、周囲の人と良好な関係を築く満たされた人は、不安な人とは全く異なる傾向を持っていた。

満たされた人はイバラの道を進んでそこまで辿り着いたのではなく、楽々とそこまで辿りついたのだ。もちろん、置かれた環境ごとに求められる事や競争などはあったりするのだが、そのようなガヤに気付きつつも、自分の信念を貫く。いいなと思った事をする。そこには人の軸と思えるような姿勢を感じ取れる。本人は努力をしていない。好きでやっているのだ。やりたいからやっている。何だか許せない事があったら、毅然とした態度で扱う。不安な人はワーストパターンばかりを考える。高い望みばかりを掲げる。結果、目の前のことに集中できず、上っ面になる。理想と現実のギャップに悩み、いつまでも心は乾いたままである。

イバラの道は進まなくていい。それは不安な人が取る行動パターンだ。努力をしたら報われることもあるかもしれないが、その可能性は少ない。むしろ物事を自分の理想通りにしようと働きかけるならば、どこかでほころびが出る。周りから人がいなくなったり、自分の身体が悪くなったり、何らかの形でほころびが出る。足元がすくわれる。将来の事があれこれ不安になるかもしれないが、予想がつかない方へ歩んでいくといい。エゴがないものを選択するといい。これが正解の形だ!などと考えるものは、それにはエゴが詰まっている。今やってて無理なくできることをすること、これが最も金銭的にも時間的にも物質的にも精神的にも満たされる方法である

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