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I see

I see は英語でなるほど、という意味である。私は”西の魔女が死んだ”という本が好きだ。

西の魔女が死んだ 
著者:梨木香歩
発行年月:2001.8
出版:新潮文庫

この本を読んだのは20年程度前であるので、もう内容は正直覚えていない。しかし、好きだ、ということだけは覚えている。そして、I knowだったかもしれないが、I see, I knowとおばあちゃんは言う。主人公の言葉を受け止める。

なるほどね、知ってるよ、わかるよ、という言葉は無条件で受け入れる。安心できる。当時、この本を読んでI see , I knowを覚えた私は、会話の中でよく利用していたものだ。この相槌がお気に入りだった。今でも好きである。

話は変わるが、私は大学生の頃、塾講師のアルバイトをしていた。その教えていた生徒のひとりから”ばぁば"と呼ばれていた。人によっては失礼と思うかもしれないが、私はこの呼ばれ方を気に入っていた。勉強を教えることはもちろんしたが、私は基本的に、生徒さんをいいんじゃん、といいね、いいねと話していた。今日あったことに、ふむふむ、なるほどねと話し、気付きに対してこれは発見だと共にワクワクし、悲しいことがあれば、一緒に落ち込んだりしていた。いいことがあれば、やったねと喜び、この調子だ!大いに調子に乗ろうとふざけていた。ばぁばと呼ばれていたもの、おばあちゃんのように、全てに対して、うんうんと聞いていたためである。色々なことを共有し、その生活はお互いに色めきあっていた。

その生徒さんは初めは、可愛いモノや事が好きな子だったが、みるみる個性的になっていった。それまで対して興味のなかった勉強が好きになり、自発的にやるようになっていった。朝は5:00と大変早起きして勉強した。成績もみるみる伸びた。勉強と可愛いを追求することを始めた。本人も自分の可能性を信じるようになったし、私も変わっていく様を横目にワクワクしていた。ツインテールにしたり、フリフリの可愛いお洋服がますます可愛くなっていって、本当にその子らしくなっていったなぁというのが私の感想である。

その子は中学生だったのだが、高校受験をした。結果は第一志望には合格しなかった。しかし、私から見ればそれでもいいのではと思えていたが、本人は第一志望、という目標を立てていたので、落ち込んでいた。おそらく、後ろめたさを感じたのだと思う。受験前と後では、その生徒さんの私への態度は少し変わった。前よりも全てを話さなくなった。これを先生としての私の教え方に問題を覚えて離れていった、と捉えることもできると思うが、そこはなんとなく違うように思う。本人は私ではなく、自分に責任があると感じていた。どこか自分を責めていた。なお、私も高校受験で第一志望ではないところに進学している。気持ちは痛いほどわかったが、私はただ見守った。そばにいた。高校生になっても、私はその子のそばにいた。そうして受験直後はどこか接し方が違った形が、時間と共に元の関係に戻った。

受け止めること、根拠なく大丈夫と想い続けること、それは力になる。私は元々”ばぁば”であったように、再び”ばぁば”に戻ろうとしているのかもしれない。30代となり、会社では中堅どころになった。できることが増え、責任も大きくなり、鎧や武器を多く手に入れた戦闘状態だった。しかし、無理をして休職に至った。私は、戦闘から離脱して自分の元の姿に戻ろうとしている。


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