罪悪感に苛まれる人

人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる人がいる。ごめんね、申し訳ない、すまない、謝る気持ちが溢れてくる。そのうち何に対してこんなにも謝っているのかわからなくなる。涙が溢れてとまらなくなることもある。

このような人は、これまで避けがたい困難を乗り越えてきた人だ。困難が次から次へと自分を襲い、時には流され、時にはしがみつきボロボロになった人だ。それは避けようがなかった。自分は頑張った。その場をなんとかしようと耐え抜いた。うまくスルスルと避けた手段を取ったことだってある。手段はどうあれ、常に警戒してやってきた。

罪悪感に悩むのは甘えられなかったからだ。私は甘えには3種類あると思っている。本能的な甘え、感情的な甘え、論理的な甘えだ。

本能的な甘えは、衣食住など生きていく上で基本的な欲求が満たされなかった場合だ。お腹が空いているのに、満足に食べることができなかった。好きなものが食べたいのに食べることができなかった。十分に睡眠を取れなかった、カラダを休めることができなかった。その形はさまざまだ。

感情的な甘えは、人とのやりとりの中で自分の気持ちをありのままでいることができなかった時だ。あなたは優しい子ねと優しい子を周囲から強要される場合もある。何か弱い者が虐げられたような環境に置かれた場合も、感情的な甘えを満たすことができない。周囲が無関心であっても、感情的な甘えは満たされない。優越感や特異性を頑張って作ることで、自分を守ろうとする。

論理的な甘えは、何か理不尽なことを強いられた形で、その世界は矛盾に満ちていた場合にその欲求は満たされない。例えば、気分によって態度が変わる人に接していると、論理的な甘えを満たすことができない。これまでは楽しい生活でいっぱいだったが、急につまらない、飽き飽きする生活になった場合でも、この甘えを満たすことができない。

罪悪感は生きているだけで降り積もる。その無限ループのなかに入ると、どうしてこんなにも大変な目にあうんだという世界からなかなか抜け出せない。

罪悪感を感じる場合はゆっくりと休むことだ、アタマとカラダを空っぽにすることだ。するとエゴのない意欲が湧いてくる。何か子供のようにやってみようと思える気持ちだ。この気持ちは人に言わなくていい。きっと理解されないし、理解される必要もない。何か情報を調べることもなく、自分が思うがままにやってみるといい。すると、ユニークな自分になっている。満たされた人に囲まれている。これまではあんなにも乾いて悲しかったのに、なぜかイキイキとした人に囲まれ、自分のそうである。より満たされるようになる。

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