生きることに疲れる
生きることに疲れた人がいる。どうにも毎日大変だ。ワクワクすることがない。なんのためにこんなに頑張っているのだろうと思う。こんなに頑張っても、自由時間が身体を休息させるだけである。次頑張るために、ただひたすら休息する。好きなことなんてわからない。
生きることに疲れた人は、これまで大変な困難をくぐり抜けてきた証である。自分の身を守るために、置かれた環境でなんとかやりくししてきた。時には耐え凌ぎ、我慢し、自分を抑えてきた。周囲の要望にこたえて、それを叶えるようにしてきた。
生きることに疲れたのは、仮面をつけた人に囲まれてきたからである。仮面をつけた人とは、囚われのある人である。執着のある人である。どこか恩着せがましかったり、不機嫌であったりする。時には冷酷で、存在を無視する。囚われのある人は、どこまでも甘えてくる。自分のぬぐえない不安が態度に出る。こうしなければいけない、あぁしなければいけないと思う。
生きることに疲れたら、周囲は仮面をつけた人に囲まれていないか確認して欲しい。おそらく、囲まれているだろう。そういった人に囲まれてきたから、こんなにも疲れているのだ。なにもできなくなってるのだ。
仮面から逃れるためには、ひとりになるしかない。仮面をつけてない人は無頓着である。人を変えようとしない。支配しようとしない、存在がいないかのように扱ったりもしない。そういった人をそばにおければいいのだが、おそらくいない。いても、仮面をつけた人々がその姿を見えなくしている。
無頓着な人は無理に近づいてこない。この大変な状態をに対して、大丈夫?と優しく声をかける人は仮面をつけた人である。優しく見えるかもしれないが、本人も不安だから、孤独だから声をかけてきている。決してその避けがたい困難を解決しようと声をかけてくるのではない。自分もそのような状態に置かれて、どこか依存的になっているから声をかけてくるのである。
ひとりになることは、最初は慣れない。何かしたくなる。衝動的に人とかかわりたくなる。その欲求を満たしたところで、また仮面に囲まれるだけである。
ひとりになって、頭を身体を空っぽにすると、意欲が湧いてくる。お腹がすいた、日光に当たりたい、素朴な意欲だ。そんなエゴがない意欲にこたえていると、満たされていく。そこは穏やかな世界である。好きなことを無理なくやる。休息と熱中の繰り返しである。そういった無理のないことを続けていると、生きることに疲れることはない。
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