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占いを信じる人

占いを信じる人がいる。この先のこと、これまでのこと、あれこれ見出す。現在、過去、未来のことを見通す。

占いを信じる人は女性に多いように思う。人の変化によく気づき、自分の身体の変化も敏感に察知する。

しかし、占いを信じる人がこじらせる姿も見てきた。将来はこうなると決めつけて、極端に何かしなくなる。または、過剰に何かをする。私はこうなるからと決める。周囲はこうなると決める。結果、自分も周囲が見えなくなり、周囲から人が遠のく。または何かバランスが偏った人に囲まれている。

世の中には、占いを信じない人がいる。占いを否定しているわけではない。良い、悪いと言っているわけではない。ただ、そのことに囚われないだけである。これまで通り好きなことをして、ゆっくり休息する。これはどうして起こったのかと考えたり、分析したりする。人をあれこれ決めつけるようなこともなく、それぞれの人の状態を理解する。共感する。距離を取るでも近づくでもなく、良好な関係を保つ。このような人は統合的な人である。

ここで言いたいことは、占いを信じることを良い、悪いと言っているわけではない。占いを信じている人が、なんだか大変だな、孤独だな、疲れたな、やる気が出ないなと感じる場合、今よりも満たされる状態があることを伝えたい。

なぜ占いを信じるようになったかと言えば、これまでの環境で、避けがたい困難があったためである。好きな人をどんなに想っても、その想いが報われることがなかった。どんなに欲しいと望んでも、手に入れることができなかった。傷ついた。感情の浮き沈みに疲れた。そこで占いを信じることで、心の平穏を保った。占いを信じることで、安心することができた。

より何かをしない、するといった極端な行動を取らずとも、安心できるようになるためには、囚われをなくすことである。囚われをなくすには、心も身体も休めることである。空っぽにすることである。頭を空っぽにすると、自分は大丈夫という感覚が得られる。想っても想っても晴れない気持ちで弱ることもないし、欲しくてたまらないものを手に入れなくても大丈夫である。その手に入れることに年齢制限があると思って焦るかもしれないが、大丈夫である。何が大丈夫だ。自分はこんなに苦しくて、喉に石が詰まるような形なのにと思うかもしれないが、大丈夫である。何度も言う。大丈夫だ。やる気が出ない、頑張りすぎたと過剰になる場合は、囚われがある。不安を感じている。大変な困難がこれまであったのだ。それに対して対応してきたのだ。頑張ったのだ。想ったのだ。それは事実であるし、うまくやろうとしたのだ。本当によくやったと思う。だけれども、大丈夫だ。今よりもなんだか意欲的になって、これまで得たかったものを得られるようになる状態にすることができる。

囚われがなくなると、これまで手に入れたかったものが得られる。結果的に得られる。それは、こうしてやろう、ああしてやろうと想って得られるものではない。気付いたら得ている。今、本当に疲れた。大変だ、やる気が出ない場合は、囚われがあるのだ。囚われは事態を悪化させるだけである。どんなに制限しても、何かを守ろうと、今は安心しているよと思おうと、疲れた、やる気が出ない。もう嫌だと思っている場合は、頑張って対応してきたからだ。ゆっくり休むこと、頭と身体を空っぽにすることで、大丈夫だと思える。意欲が湧いてくる。意欲に従って、興味に従って動いて、エゴがない状態で動くと、思いがけなかった世界が待っている。下手でもいい。できなくていい。うまくやろうとしなくていい。自分がご機嫌になるように、やってみることである。そうすると、満たされる。これまで得たくて仕方なかったものを得ている。

なお、占いを信じるなと言っているわけではない。好きにしていいのだ。ただ、なんだか苦しい、疲れた。大変だ。涙が流れる。衝動的になる場合、今よりも安心できる状態がある。ただ横になって頭も身体も休めることだ。逆に辛いと思って何かしたくなるかもしれないが、それでも休むことである。静寂は自分を大丈夫と思える。傷を癒す。心から安心できる。満たされる。

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