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Seize the fortune by the forelock.

直訳すると、幸運は前髪でつかめ。これは英語の諺で幸運の女神が現れたら、素早くその前髪を掴めということである。神話で幸運の女神の髪は前髪しかなく、すごい勢いで走り去ってしまうため、女神が走ってきたら、それに気づいて、その前髪を掴むのだということである。何か幸運を掴もうと思ったら、日々何か努力しなければいけない、常にアンテナを張っておくべきだというニュアンスも含まれる。

それでは、幸運を掴むために日頃から何か地道な努力が必要であろうか?私の見解は努力は必要ないと思っている。結果的に地道な努力をしているのであって、それをやる前から今日はこれをやろう、あの人はこれができて成功しているから、私もできるようにしようなどと気張らなくていいということだ。

幼少期に自由に遊び回った、と回想できる人は果たしてどれほどいるのだろうか。幼少期でも人によっては周囲から努力を強要される、努力が良しとされる環境に置かれる人はいる。学校の勉強、習い事、塾、ゲーム。例えば、漢字を読み書きできないといけないとされ、計算ができないといけないとされる。様々な泳ぎ方をできないといけないとされる。ゲームであっても、すぐにエンディングまでいくことはできないので、地道な作業を要する。最近では、エンディングがなく、自由にできるものも多いが、何かと集めたり、作業があり、何か目標を立てると努力せざるを得ないところが出てくる。

これら説明したものには、何か型がある。ルールがある。周囲はルールを守り、あたりの様子を理解するために何かできることを要求する。型にはまった何かをできることは達成感があるが、思考が制限される。脳が考えなくなる。退屈になる。

自由に遊び回っている例として、ペット、犬や猫などが上げられる。ペットを飼っている人はイメージつくだろうが、動物は読み書きなどできなくとも、こちらのことをよく理解している。周囲の様子を理解している。自分から何かコツコツ努力することをしない。飽きたらやめる。ゆっくり休む。そうしてまた新しい何かに熱中する。

私は勉強するのは良くないと主張しているわけではない。努力することが悪いと言っているわけではない。新しい気づきを得ることは、大切だと思う。それは、新しいアイディアを思い描くことに繋がり、新しい世界を見ることに繋がる。さまざまな自分になれることに繋がる。

幸運を掴むためには、地道な努力は必要ない。それは何かできるようになること、能力を身につけることには繋がるが、努力した本人が幸せを感じれなければ、それはなんのためにするのであろうか。人はロボットではない。多彩な能力を身につけて色々できるようにならなくてもいい。ペットのように、目の前の興味のあることをやってみるといい。その取り組みが幸運を運んでくる。女神の前髪を掴もうと、常に警戒している必要もない。女神は幸せを感じている人の元に来る。余裕がなく疲れている人に対しては来ない。脳を制限している人の元に来る神は、忙殺神だ。常に何かに追われるようになる。幸せは来ない。

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