人生100%で生きる

私は何かに取り組み始めたら没頭して取り組むところがある。寝食を忘れてそれに集中する。そのようなものは大抵長続きしないし無理をしている。しかし、当の本人はなぜか手を抜くことができない。

何かに集中するのは良いことと捉えられがちである。現に私は仕事で研究開発を行なっているのだが、長時間集中できることは強みとされてきた。同僚も長時間難なく働き集中している。

そのような私は休職するに至った。理由は人にこたえすぎるからだ。自分にこたえなかったからだ。恵まれた環境で集中できていいねと周囲は言うが、当の本人、つまり私はあまりいいと思えていなかった。達成感を感じられ、能力も伸び、賢い人に囲まれて刺激的で気づきも多く、確かに良い面があるが、なんとなく閉塞感にさいなまれていた。

私はこれまで人に色々なことをしてもらってきた。手塩にかけて育ててもらってきた。期待されてきた。自分のそれが嬉しく、期待にこたえてきた。しかし、色々としてもらっているのに、なんだかうまくできなかったり、自分から動けない、動いたとしても極端で自分は満足しない形に悩んでいた。

そのことを人に相談した時に、人生100%で生きれば良いのだよというアドバイスをもらった。好きなこと、ワクワクすることは次の日にも取っておく。ここまでやったら辞めるという区切りを持っておく。色々なことをほどほどでいいのだよ、と。

私は休職して自分の好きなことを一生懸命探していた。そのうちやる気が出てくるかなとか、これをやってみようかなとか試行錯誤した。自分にジャブを打ってみた。しかし、試行錯誤するほどなんだかうまくいかず、やる気がなくなったり弱っていった。

今はほどほどに中庸を取るということを意識している。ほどほどにということは元々知っていた。仕事でも指摘されたことがある。しかし、それができてこなかった。目の前の炎上していることに囚われ、それに反応しここまで来てしまった。人にこたえてここまで来てしまった。

好きなことをすればいいじゃん。それは私にとっては難しい。しかし、気づけばいつの間にか好きなことをしている自分がいた。これっぽっち。空っぽ。もう堪忍して。何もないわ。といった状態になった時、なぜか自然と取り組んでいたこと、それは好きなことだった。

私は人と話すことが好きだ。動物も好きだ。人が成長する様を見ることが好きだ。変わる様子を見るのが好きだ。芸術的な美しいものが好きだ。複雑な物事をじっくり考えることも好きだ。表現することも好きだ。

休職してよかったと思えるのは、思ったことを気ままに試せることだ。不安になる時もあるが、不安を感じているな、と自覚してそれを遠くから眺めておけば良い。そうして目の前のなんとなくやりたいこと、意欲を湧くことをしている私の生活は満ち足りている。

周囲からは浮世離れしていると言われるが、しばらくはこれでいいかなと思える。いつになったら働いてもいいかな、復職してもいいかなと思える気持ちになるかわからないが、今日も気ままに過ごしている。

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