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助け支えたい人

人の助けになりたいと思うことは、自然なことである。何かをして、ふと人からありがとうと言われると嬉しい。こちらとしては、ちょっとしたことであったけど、感謝されると気持ちが良い。しかし、人の助けになりたいと思う真っ直ぐな気持ちは、大人になると歪んだりする。

人に何かとお節介を焼く。相手が大丈夫だよと言っても、関わろうとする。相手は自分でやりたいのに、手をかけられることが負担になる。足が引っ張られる。お節介は操作的でもある。相手はこうすればいいと思ってくれるはずだと思って行動する。また、誰に対してもニコニコしていたりする。相手に感謝されたい。多くの人に頼られたいし、それが生きがいであると感じる。八方美人である。周囲の人が、他の人を褒めていたり、ありがとうと言っていたり、エネルギーを注いていると嫉妬する。私も素敵でしょ?これをやったよ?と主張する。周囲の人を独占しようとする。恩着せがましく、ひとりよがりとなる。無理して人を助けるようになる、自分を犠牲にしてでも、相手に尽くす。

こうした歪んだ形となるのは、囚われているからである。人の囚われは3種類あり、本能的か理論的か感情的かである。人の助けになりたい人は感情的なところに囚われがある。歪んだ形となったのは、周囲が搾取し続けたからだ。

例えば、将来に対して不安になるようなことを言ってくる。〇〇ができないと、苦労するよ。失敗するよ。うまくいかないよ。心の負担となるようなことは誰だって嫌だ。傷つきたくない。防衛本能として正常である。不安になるようなことを言われ続けると、〇〇を避けた方がいいと思う。自分が不安に感じるから、相手もそうした方がいいと思い、お節介をやく。〇〇とならないようにする。何かをダメと決めつけて、相手にそれを強要する。また、あなたのおかげでこう言ったことができていると、感謝することを強要されることがある。その人にとって好ましくない時以外は、イライラして当たられたり、ムスッとして不機嫌だったりする。機嫌をとらなければならない時がある。すると、自分が甘えられない。甘えられないと、何かをしないとそこにいてはいけないといった感覚になる。良い子でいることで、相手に奉仕することで、自分の存在を周囲に受けとめてもらえる。相手にいい顔をする、機嫌をとる、八方美人になる。自分がそこにいていいという感覚を強めたくて、周囲の人が自分意外に注目していると、嫉妬する。自分はここにいると主張する。周囲の人を独占しようとする。人のことを所有物のように扱い出す。エゴがある。

一方で、見返りを求めず、人の助けになろうとする人がいる。細やかに周囲をケアし、状態に応じて自分の行動を変えてられるような適応能力、行動力がある。柔軟性がある。人の気持ちによりそうことができて、共感する。周囲が余裕がなくて攻撃してきても、受け入れる。愛がある。大変親切である。また、周囲の変化にもすぐに気がつき、勘が鋭い。すぐ普段と違うなと見抜く。

囚われがある人とない人の違いは、安心できているか、自分がありのままにそこにいていいと思えているかどうかによる。囚われがある人は、今のままではいけないと思う。これまでのことに罪悪感があり、劣等感がある。自分を否定し、自意識過剰になったりする。囚われて人の助けになりたい人は、どこまで人に尽くしても、満たされることがない。

エゴがなく助け支えるようになるには、囚われをなくすことである。囚われをなくすには、充分に休息することである。頭や身体を空っぽにして、自分は大丈夫と思えるようになることである。瞑想やマインドフルネスをやってみることの一つのてである。大丈夫という感覚は、まっすぐに人を支えて、自主的に行動することに繋がる。より満たされることに繋がる。





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