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勇気を持って決断するとき

 現状維持を選択することと期待どおりになるかわからないけど行動してみるのと、人はどちらを幸せに感じるのでしょうか。私は後者の方が幸せに感じるのではないかと思っているタイプです。

 たとえば次の転職先を決めずに会社を辞めたことが2回あります。私にとっては安定した生活よりも挑戦してみる方が大切に感じていました。

 これは守るものがないというのも大きいでしょう。子どもを育てていたり、ペットなどがいる場合にはなかなか簡単に自分の環境を変えることが難しくなります。

 最近、親しい人が転職活動を始めました。親しい人にはパートナーがいます。幼い子どももいます。今の会社は安定しているけれども、自分のやりがいや家族の生活を考えて変わろうとしています。

 親しい人は以前までは世の中のことを過大評価しすぎるところがありました。自尊心が低いとも言えるのでしょうか。どちらにも見えるのですが、常に謙虚にいたのです。周りを警戒して情報を入手し、作戦を練る、評論することを好んでいました。そんなにも調べたりして興味があるのなら、やってみればいいのではないかと提案するのですが、そのような周りの声は否定し、「自分は能力が低いから」、「できないから」と言っていました。

 親しい人は転職を始めて先日、選考がひとつ進みました。わたいもない会話をする中で、今やっていることを親しい人は楽しそうに語ります。いま採用を受けているところはどんなカラーの会社か、自分は何を大切にしてその会社を選んだのか、将来はこんなことを挑戦してみたい。日常会話ひとつ取っても親しい人はイキイキしています。

 しかし厳しい社会を歩んできた大人から言えば「浮かれているだけ」と評価する人もいるでしょう。「今の会社の方が大手だし給与も高い、恵まれている」こうした言葉をかける人は少なくないはずです。しかし私から見れば以前よりも顔色が明るくて素敵だなと感じるのです。ただし大手から中小、ベンチャーに転職して愚痴をこぼしている人を私は知っています。「周りがこんなにもできないと思わなかった」この現象はある程度能力がある人に陥りがちなことです。また進学校や偏差値の高い大学に所属していた人はたいていの場合はこの姿を一度は目にします。

 決断して愚痴をこぼす人とそうではない人の違いは、次の環境を自分でつくっていく気概があるか否かだと思います。つまり条件は省みないということです。これまでは恵まれた環境にいました。しかし恵まれた環境と言っても輝かしいことだけではありません。そこには歴史があります。文化があります。ルールがあります。そのルールは恵まれた環境を提供するために合理性を追求したものですが、人を窮屈にさせます。やることが細分化されて限られるからこそ、パフォーマンスを出せることも少なくはありません。

 若い風土のフィールドや新しい人が集まった組織は風通しがいいです。しかし多くの人がそのフィールドをステップアップのひとつとしか捉えていません。自分の求めていることに合わせて所属する場所を変えていくことが当たり前な文化な場所があります。そのような環境に恵まれた環境にいた人がいくと愚痴をこぼします。「前の方が良かった」と。

 誰しも自分の身を守りたいと思うものです。どのような場合でも自己保身は脳裏をよぎるでしょう。そうであっても、勇気を持って決断する時は自分は何を乗り越えたいのかに気がつくこと。これこそが次の場所でも自分をイキイキさせ続けられる秘訣だと思います。決めた後からでもいいです。体験してからでもいいです。常に自分の気持ちにフィードバックをさせていくことこそが、より満たされる秘訣だと思います。

 

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