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私が歩み始めた時

私はこれまで転職を2回しているが、1回目の転職は安心した形で、2回目の転職は不安な形で会社を変えるに至った。その違いについて話ていこうと思う。

1回目の転職は会社が嫌になって辞めた。自分の意思で辞めた。いわゆる青い鳥症候群みたいなものだと思う。今よりももっといい仕事があると思っていた。このままではいけないと感じていた。そうして辞めた後は、いわゆる無職であったが、絵を描いていた。絵画教室に通い、そこを居場所としていた。将来のことが不安だった。その先も決まっていなかった。しかし、自分の意思で何かに取り組んでみようと決断した。それまでは何かと流されてきたが、自分で志し、えいやと勇気を出して決断したはじめてのことだった。思い返せば、儀式のようなものだった。その形式に乗っとる必要があると感じた。この決断が将来の自分を豊かにするとなんとなく思えていた。貯金は日々なくなり、生活できなくなっていくのだが。そうして、このペースで出費すれば、いよいよ電車移動も厳しくなるなと見立てられた頃に、転職活動して次の就職先を決めた。生活がつながったから、まぁ良かったと回顧できる。どんな形でも何とかなっていただろう、と思っていた。安心していた。精神的に豊かだった。

2回目の転職は会社で海外出向が決まり、やりたい仕事ではなかったため、辞職した。自分の意思であったものの、急に所属がなくなった形だった。これまで頑張ってきて、まだまだやれると思っていた時だったので、何だか寂しい気持ちがあった。対して、やれることはやったかなと思っていた。しかし不安だった。以前よりも貯金があり、生活条件としては豊かになっているが、不安だった。生活を立て直さないと、と思った。焦った。海外出向は2週間後と言われたのが問題であったかなと思う。話を聞いてから、3日くらいで退職した。引き継ぎとか普通はあるものだが、ちょうど期の始まりで仕事も終えていて、落ち着ていたことも理由にあると思う。会社の都合と仕事の都合が合致した。海外出向の手続き上、会社に行けばその準備をするので、えいやと決断するに至った。そんな急な事態で、心の整理を、考えることを、ちょっと時間をおく暇すらなかったので、不安を感じた。急に困難な環境に置かれたものだから、臨戦体勢を取った。こうするべきなのではないか、ああするべきかなと計算高くなった。そうして急いで転職活動をして、すぐに次の勤め先を見つけて働き始めた。

2つの違いは、心に囚われがあったかどうかだ。前者は歩み始めた時、どっしりと構えている。将来のことを考えると不安はあるが、その時の自分は安心していた。それでいいと思った。根拠なく大丈夫と思っていた。後者は過去に対して、これが悪かったのかな、あれが良くなかったかなとあれこれ考えた。将来に対しても最悪のシナリオを考えた。例えるならば、攻撃されていると感じて、身を守りに入った。まぁ、普通はそうなると思う。急に安心できる場所が、所属がなくなればびっくりする。

現在、私は休職している。休職するに至ったのは無理をしたせいだが、1回目の転職時のように、安心している方だと思う。将来に対して、外出が自粛されてなかなか求人も見つかりにくい世の中を考えれば、最悪なパターンの発想はいくらでもそらんじられる。語れる。しかし、まぁ最悪なケースを考えても仕方ないか、となる。それを考えるくらいなら、気になってることでもやりますか、となる。これまで多くの満たされている人に会ってきた。と同時に、不安を拗らせた人にも会ってきた。私は人生で避けがたい困難があった方であるが、その度に適宜対応してきた。色々と大変だったけれもど、理屈をごねることはやめた。満たされている人を知っているからこそ、その形をなぞっている。将来がわからない中、歩んでいる。

この記事を書くことが、自分をどこに連れていくかは分からないが、私はあれこれ記事を書くことを楽しんでいる。

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