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軽く扱う人

他人を、自分を軽く扱う人がいる。軽く扱うにしても、本人は他人を軽く扱っているなんて思っていないし、自分のことを軽く扱っているなんて思っていない。そのため、軽く扱うとはどういったことかということを具体例をあげて紹介した上で、軽く扱うとどうなるか話していく。最後に、軽く扱ってない人はどのような人か紹介する。

他人を軽く扱う

他人を軽く扱う人は、人を道具であるかのように接する。相手を舐める、ないがしろにする、冷たく接する。つまり、マウントを取るのである。自分は他人よりも状態が上であると態度で示す。こういった人は独占欲や虚栄心が強い。自分が安全でいるために、労力を割く。また、他人行儀になることもある。愛想がなく、何かと命令的である。

これらは、わかりやすい軽く扱うパターンであるが、他にも他人を軽く扱う接し方はある。詮索してきたり、疑り深いことも他人を軽く扱っている。協調性がなく、怒りっぽい態度も人を軽く扱っている。ことなかれ主義で、何かと回避的な姿勢も人を軽く扱っている。欲求が満たされない苛立ちからの行動、自信がない上での行動も人を軽く扱っている。

他人を軽く扱うと、周囲は怒る。苛立ちを感じる。傷つく。中には理解を示し、歩み寄る人もいるが、どこか依存的となる。どこか行き過ぎた形となり、最後はひとりになるか、何か大変な人ー囚われのある人に囲まれている。

自分を軽く扱う

自分を軽く扱う人は、自分の心に蓋をする。その結果どこかイライラしたり、神経質になり、人はこんな風に考えているのではないかと、心配になる。感情の浮き沈みが激しくなり、自分の想いにこだわる。忍耐力がなくなり、場当たり的な行動を取るようになる。

これらはわかりやすいパターンであるが、他にも自分を軽く扱った時に起きることはある。不誠実となる。消極的となる。保守的となる。思考が偏る。不誠実となるのは、落ち込むことを避けているからだ。賞賛されることをよしとして、自分の心は二の次とする。注目を浴びたくて、不誠実な行動を取るようになる。

自分を軽く扱うと不安が増す。罪悪感、劣等感、自意識過剰を強くする。自分はこのままでは良くないという思いが増す。自分の身を守ろうとする。守ろうと衝動的にあれこれしてみるが、どれもうまくいかない。無理をしてするので、疲れる。できない時がある。やる気がなくなる。無気力になる。

軽く扱ってない人

他人を軽く扱っていない人は、人に対して無頓着だ。比較したりしない。マウントを取らない。こうするべき、ああするべきと言わない。しかし、興味がない、関心がないわけではない。一見するとわからないが、実はよく観察している。変化に気づく。空気を読む。この人は疲れているな、この人は嬉しそうだなと気がつく。気が付いた上で、そうなの、と寄り添っている。

他人を軽く扱っていない人は、規則、ルールを守る。一人よがりになることがない。文化を尊重して合わせる。しかし、無理しているわけではない。心地よいと感じる形にしていると、自然とそうなっている。初めは規則、ルールに気づかずに、破ってしまうこともあるが、周囲の様子を見て真似る。周囲に合わせることで、自身も物事を進めやすくなる。

他人を軽く扱っていない人は、無理をしない。意見を持っているが、それを押し通そうとしない。流れを見る。様子を伺う。状況に応じて意見を柔軟に変える。しかし、根を変えるといったわけではない。自分のやりたいことが叶う近い形に変えるだけである。周囲との関係もうまく行き、何をしてもうまくいく。

自分を軽く扱っていない人は、自分の心にこたえている。ゆっくりと休む。そしてまた熱中する。休息と熱中を繰り返している。やりすぎるということがない。寝食を忘れるということがない。自分の身体の変化に気づき、こたえていく。

自分を軽く扱っていない人は、安心している。何か根拠立てるわけでもなく、リラックスして安心しているわけでもなく、自分は大丈夫と思っている。自分は大丈夫と思えているのは、頭と身体を空っぽにしているためである。平衡状態を保っているからである。


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