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何もなくとも本質を極められる(工夫できる)

工夫していくことが一番楽しい。

この2ヶ月程度、出費がかさんでいた。それは自分がこれまでいた環境から今の1日中自由な生活に自分が慣れるまでの必要な出費だったと感じる。

初めはゲームを次々購入し、次に高価な洋服を買い、そしてマッサージやジム、エステなどサービスへと出費が変わっていった。その中でここ最近は自分が作業のしやすいように机と椅子、運動用のヨガマットなどに変わり、引きこもり体制を整えていった

1日中自由な生活になりたての時、初めの頃は昼間に好きに歩き回ることに緊張していた。すごく不思議な感覚になっていた。土日とは違う人の流れに慣れないでいた。

今では日中出歩く事に何の抵抗もない。そんな矢先に仕事をしないかと誘いを受けた。今度そこの社会科見学に行く予定ではあるのだが、この引きこもり生活に社会との関わりが向こうから歩いてやってきた

こうしていざ再度働くに至り、自分は何が理想なのか、何をしたいのか自分に問いかける。結果、どこかで働くと時間的に自分が心からやりたい、興味があること以外のことをやる日が訪れる。こういったものが自分に気づきを与えたり、新たにできることを増やすのは確かであるのだが、私は再度働く事に抵抗を感じている。できることなら今の生活を続けたいと。自分と向き合うこの生活を極めてみたいと。

部活動やバイト先、会社、結婚相手を決める時に何を重視して決めるだろうか。私は多くの場合、条件で決めてきた。自分にとってお金や時間、得られる能力、社会的ステータスなどの条件が良いものである。しかし、中には無理なく条件を求めず選んだものがある。何の見返りも求めず、伸びしろがありそう、面白そう、これから発展しそうという好奇心から選んだものだ。理想か好奇心かで選んだ時、私の場合、好奇心から選んだ方が最終的には得るものが大きく、満足度が高かった。

これまで1日中、自由な時間がある時は物欲を満たそうとしていた。条件が良いものをという方に意識がいっていた。今の状態から自分でなんとかしようという意欲がなかった。何か買ったり、誰かに頼ることで何か変わると思って行動している節があった。もちろん、モノやサービスに出費したことはよかったと思っている。もやもやした気持ちが晴れたりした。しかし、あり方の側面でマイナスからゼロになっただけで、ゼロからプラスにはなっていなかった。どこかに甘えがあった。甘えないと何故だかやってられない自分がいた。好奇心から選んでも、それは受動的な自分をゼロの状態に戻しただけであった。好奇心によってゼロの状態から能動的な自分になるところに重きが置かれていなかった

今は何故だか異なる。条件ではない結婚相手を選んだ時のように、アルバイトを選んだ時のように、自分の今の状態から試行錯誤して工夫することで、人と社会と共に成長していきたいと思えている。好奇心によるゼロから能動的になる状態を加速させるようになっている。その甲斐あって、これまで全く執筆活動ができていなかったのだが、できるようになっている

こうなったのは、自分がモノやサービスを買うことで良い状態になると思っている自分を認知したためだ。これまでは、好奇心から、つまりエゴのない意欲でお金を使っていると思っていた。しかし、これは違う。やり気がない動けない自分がなんとか1日動けるようにするために、刺激を得るために、ワクワクを得るためにお金を使っているに過ぎなかったのだ。マイナスからゼロにしたに過ぎなかったのだ。

この気づきは旦那さんからの一言で気がついた。「どうして何かを買うことに意欲があるんだろうね。」その一言であった。そんな中で一緒に仕事をしませんかという誘いをもらった。仕事をするのもお金は手に入るし、所属ができるしで良いようにも思えるのだが、結局のところそれは条件にしか興味がいっていない。結婚相手のように今後の成長の見込みがあって、一緒に大成していこうとは思えない。ただ都合がいいかなで選ぼうとした自分がいた。軸がぶれている自分がいた。

そもそも私の軸は本質を極めることだ。この本質の中には芸術的な感じ、余裕のある感じ、自由な感じ、流れがある感じ、イキイキする感じ、気づきがある感じという抽象的な要件が続く。私は人からどう見られるかというブランド物の購買欲は全くないが、本質を極めるような購買欲はある。自分がより成長できるようにという方向の欲が強い。ここだけはいつでもぶれていない。

新しい仕事も自分がイキイキすることに繋がるかもしれない。より満たされる事に繋がるかもしれない。新しい気づきがあり、本質を極める事に繋がるかもしれない。しかし、結局のところ恵まれた会社を辞める事にしたのも”忖度”は本質に繋がらないと思っている。資本主義にはどれくらい売り上げるなどの明確なゴールがある。そのゴールのために人の顔色を読み、業界の流れを読み、即座に結果を出していく世界はもう十分だと思っている。その中でも自分は成長できた。様々な能力を身につけ、特殊なことができるようになった。極めることとはなった。行くところまで行けた。しかし、これ以上成長したいのならば、出発地点から変える必要がある。それは自分が良いと思える方向にひたすら熱量を割く世界だ。これは一生誰からも評価されないし、お金にもならないかもしれないが、自分の満たされ具合は高め続けることができる唯一の手段だ。本質を極められる、更に高みの本質のところまでいける手段だと思う。

機は熟した。分野を変える時が来た。一時の自分を必要としてくれる新しい仕事の話に嬉しさを覚えつつ、取り急ぎ生活はしていけるので、自分にこたえて工夫し続ける世界にいたい。その基準は自分でつくる。締め切りも何が良い、何が悪いもない。何も言われない。何も言われないからこそ、自分の感覚を最大まで高めて、自分がどの方向に未知な世界が待っているか、なんとなく知らない世界があるかを嗅ぎ分けて進んでいく。これは大変無理していると側から見れば言うかもしれない。不器用なやり方だとあれこれ批判されるかもしれない。(実際に最近あれこれ友達から言葉をもらった)それでも、一応困りごとはどんどん減っていく貯金であるので、私のやる気をマイナスからゼロにするためのお金を使う事に重きを置くのではなく、ゼロをプラスにする工夫する事に重きを置いていこうということを自分に思い出させて日々やっていこうという話である。新しい仕事の条件や環境、お金に目が眩みそうになったが、初心に戻ろう。軸に戻ろう。本質を極めようという話である。マイナスをゼロにするのは、睡眠、食事、運動をしたらなんとかなる。そのため、生活リズムは壊さないうように、工夫することの楽しさを毎回思い出そうという話。



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