見出し画像

出戻りがある行動とそうではない行動

私は心配性なので、情報を集めることを好んできました。たとえば英単語であれば様々な単語帳を買うことで安心し、サラリーマンになれば今後はどのような大変なことがあるのだろうと飲み会に出ては詮索していました。

私の心配性はそれだけではありませんでした。権力や安定を好みました。たとえば弁護士や医者、学者という何かすごそうな肩書きを持つ人の情報を信頼し、鵜呑みにしました。その人たちが自分を見て発した言葉があれば、それが真実だと思ってきました。その人たちが良いというものは、なんだかんだ良いんだと捉えてきました。

私にとって自分を信じて目の前のことを腰を据えて取り組むことは何より難しいことでした。英単語も単語を覚えることよりも、単語帳をコレクションすることに精を出していました。安定したいという欲求も、自分を自分で信じるというよりも、人からの言葉で自分は大丈夫と思ってきました。

こうして「今」私が何を求めているのかを考えずに今日までやってきました。最初にとった行動によって出戻りが発生していることに気づくことがストレスを覚え、何事も先送りにしてきました。正直に認めることが難しかったのです。すると度々初心に戻らなければならなくなることが発生しました。私が何を求めているのか考えず不安を払拭しようとする行動が出戻りが発生するのです。

今の私は「自分の力でお金を稼ぎたい」です。しかしこの事実から私は逃げてきました。自分の心の安定の方が先と言わんばかりに、好きなことを気ままにしてきました。そうして着もしない服が増えたり、雑貨が増えたりしていきました。お金だけがなくなりました。モノを買って選択肢が増えたように見えますが、実は選択肢を狭めていました。使わないとという気持ちと使えていないという罪悪感の狭間にいました。

私には無理せず続けられることがあります。それはゲームのリングフィットアドベンチャです。リングフィットアドベンチャは毎日無理なく楽しんでできています。これまでは何をしてもこのままでは良くないのではないかと情報を詮索したり、コレクションしたり、誰かの勧めるがままにしてきたのですが、リングフィットアドベンチャだけは違います。毎日少しずつ取り組むのです。

リングフィットアドベンチャに出会ったのは偶然だったのですが、色々と試したことは事実です。私にとっては価格が高いとか有名だとか流行っているとかは関係ありません。「直感的で予想と検証のバランスが整っており忖度がない環境」であればなんでもいいのです。

自分でお金を稼ぐ上で「直感的で予想と検証のバランスが整っており忖度のない環境」はなんでしょうか。今なんとなくイメージできたのは「配信」です。「配信」は直感的にあれこれ話せて、リスナーにこたえなければ忖度はありません。予想と検証のバランスは私にとってはブログを書いている方が予想や検証をできてきるように感じます。話すことは予想はしますが、検証はあまりしていない感じがします。おそらく誰でもできるものよりも、始めるハードルが高い方が向いている気がするので、どうしようか考えてみようと思います

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?