経営者みたいだね

お母さんに経営者みたいだねと言われた。

私はお母さんと会う度に、何かしらお土産を持っていく習性がある。それは私の中では戦利品と読んでいる。

戦利品は毎回さまざまだ。フカフカのタオルや良い香りのシャンプー、コンディショナー、ちょっとした情報である時もある。

今週末は実家に久しぶりに帰ったのだが、いつものごとく戦利品を持っていった。戦利品を渡して反応を見る。渡した時は、毎回悪いねぇというのと、これは何⁉︎と目を輝かせることといったことが両立している。

なぜ戦利品を持っていくかと言えば、自分が試してこれはいい!と思ったものを誰かに知ってその人も満たされるといいなと思うからだ。そのため、私の最近利用している中での"よきもの"を持っていく。

それはお母さんに合わないこともあるし、とても気にいることもある。気に入った場合は、自分で後から買い込んで実家に並べられているので、あぁ、気に入ったんだなと分かる。

気に入らずとも、知らないものに毎回出会うので、ちょっとしたイベントになっている。びっくり箱のようなものである。今回は何が出てくるのかなとお母さんは楽しみに袋をあけ、私はその様子を楽しむ。

私は人がイキイキしている姿が好きだ。人がイキイキするために、その人に合わせて工夫をする。ちょっとした種を蒔くこともあれば、水をあげることもある。太陽のようにあたたかく照らすこともあるし、この風に乗るとイキイキするかもねと、その人の知らない世界のことを語ることもある。その時々の状態に応じて、イキイキする何かを表現する。

この延長で、私は最近人を支援することを始めた。私自身は休職中で貯金を切り崩す日々をしているのだが、その中でこの人のことが好きだな、応援したいな、弱ってるなやまぁ、なんでもいいのだが、支援する。お金を置いてく。

お金を置くにあたり、それがどのような形になってもいいと思って、いわばお賽銭箱のようにお金を置いている。お金を払われた側は晴天の霹靂のように大変喜ぶ。

気をつけているのは、本人の生活のバランスを壊さないようにしているという点だ。払いすぎて気持ちが高まると、これまで積み上げたものを壊すことになりかねない。日々の生活にハリが出る、やる気が出る、意欲が出そうだなという形のお金を置いている。


お金でない場合もある。それは私なりに考えた愛の形である。イキイキ過ごすことを心から想っているし、応援している。こっそりと。

それをお母さんに話したら、経営者みたいだね、と言われた。みんながニコニコしてるのが良い状態、土壌づくりをする形。仕事でも同じようにしており、それで私は成功したのだが、その様子を経営者みたいだと言われた。


私は独立したいなと思うし、ぜんぜん悪い気はしなかった。ちょっと得意になった。そういった話である。

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