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勉強はした方がいいのか

勉強をした方がいいと思っている人に言うと、正直、勉強はしなくていいと私は思う。周囲が勉強をしないと将来困ると言いてきたり、試験が近づいてきていようが、勉強しなくていいと思う。本当に勉強している人は、気付いたら勉強している。好きで勝手にやっている。本人には勉強しているという感覚はない。勉強をした方がいいなどと気張らない。

私は30代のリケジョのサラリーマンであり、大学は首席で卒業した。つまり、一般的には勉強をしてきた方である。世で言う有名な大企業に就職し、お金、時間、意欲的で向上心のある仲間もいた。そんな環境で自分の能力が日々高まることが実感できたし、周囲には認められて結果も出た。自分の能力で、世の中にまだない新しいものを作って貢献できていると思え、達成感があった。側から見れば、本当に恵まれている環境で、豊かと言える状態だと思う。

しかし、私は満たされていなかった。どんなに時間があり好きなものが買えて、周囲の理解もあり、仲間もいて、好きなことができても、満足しなかった。何故なら、人にこたえてきたからだ。

勉強したのも、周囲にこたえたからだった。親に勉強しろと言われたことはなかった。しかし、周囲が勉強することは善であるといったような価値観であった。都内で育つと、少子化と言えども子供の数は多い。6〜9クラスもあるような学校もある。私はそのような環境で育った。子供が多いと、多くの子の中のひとりといった形になりやすい。個人として見られない。そして、人数が多いと統率も大変なので、勉強することが良いこととする。見習わせようとする。○○さんは今回もクラスで一番でした、といった形にである。成績が悪い子を悪いとは言わない。しかし、良い子しかピックアップしないのだ。勉強ができれば、多くの集団の中で認知された。

そのため、私は勉強ができれば、褒められるし悪い気がしなかったので勉強したのだ。人にこたえた。別に勉強が嫌いだったかと言えばそうではなく、コツコツと問題集をとくだけでそれなりの成績を取ることができた。つまり、少し時間を取れば点数が取れた。私の中では嫌いではなかったが、多くの時間を過ごす学校で、気持ちよく過ごせれば良かったので、勉強をした。勉強をしているという感覚があった。気付いたらやっているというものではなく、意識して勉強した。

そうしたことの積み重ねで、大人になり人にこたえることが、当たり前のようになった。仕事ではこれをやってほしい、こうしてほしいという要望があれば、できる限りこたえる。いわゆる八方美人のような状態である。断るということをしない。別に断る理由もないと思っていたが、そのうち仕事量も多くなり、難易度も上がり、ひとりでやるにしては限界があった。なんとか複数の仕事を並行して進めたが、ミスをし、余裕がなくなったり、どうしてこんなに大変なんだろうと感じるようになった。

一方で、同じような環境であるが、イキイキしている人がいた。何事も意欲的に取り組み、物事を俯瞰して整理するのが得意である。そして、周囲とも友好的な関係を築き、楽しそうであった。その人は勉強するという感覚は持っていなかった。興味があるから調べ考える。結果、人よりも勉強する。勉強しているという感覚がない人であった。そういった人は、自分のやりたいことが明確であり、中庸を取りつつも、NOと言える、自分の意見を言えていた。

私は意識して勉強していた。社会人の限られた時間の中で資格を取ったりと、努力していたと思う。しかし、それは負担でしかなかった。勉強しているという感覚があった。私にとって勉強は意を決して、無理にするものであった。楽しくなかった。もちろん、勉強する中で新たに得る知識や見える世界があり、達成感があった。しかし、いつまでこの形を続けるのだろうと思った。次第にやる気がでなくなっていった。もちろん、勉強をしないと決め、人にこたえないと決めて行動した時もあった。しかし、自分の心のどこかには不安があったため、気づくと大変な状態にまた戻っていた。

勉強しているという感覚がない人は、いつも先手に立つ。自発的に取り組むからである。一方、私のように人にこたえるためにーと何か理由がないと動かない、受動的な形であると、後手に回る。それは、短期的にみれば少しの差であるが、5年、10年と経つうちに圧倒的な違いとなる。

人にこたえず、自分が興味があるから、やってみたいからといった自分の気持ちに応える形で勉強してきた人は、勉強を勉強と思わない。興味があるから、やりたいからやっている。一方、自分の気持ちではなく、人の気持ちにこたえて勉強した場合は、どんなに側から見れば良い環境であったとしても、本人の心は乾いている。死んだようである。やる気が出ないし、何を取り組んでもワクワクしなくなる。好きなことがないといった状態になる。

勉強をした方がいいと思っている人がいたら、しなくて良いと思う。勉強をして成績を取り、学校を卒業したところで、生活が安定したとしても、そこは動物園のような世界が待っている。守られているが制限がある。どんどん弱っていく。

守られる世界を選ぶのも、心に不安を感じていたためだ。不安を感じないようにするためには、今勉強しないといけないと思っている気持ちと距離を取り、ゆっくり休むことである。何もしないことである。頭と身体を空っぽにすることである。休息すると、意欲が湧いてくる。これをすれば、きっと周囲はこう思ってくれるだろう、といったエゴのない意欲である。エゴのない意欲に従って行動すると、物事がうまくいく。勉強しているという感覚がない人になれる。

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