その場の空気を察知できる人

外食した時に、少しスタッフが忙しいことがわかる人がいる。焦ってる姿になんだがこちらも緊張する。その環境にひきづられてリラックスするなどではなくなる。

このような人は、避け難い困難を乗り換えてきた人である。人からあれをしろ、これをしろ、あれができた方がいい、これができた方がいいとされた。要求された。他には、あなたはいい子ね、面白いね、と可愛がられた場合もある。そのため、自分はいい子でいないと思う。それにこたえようとする。何かと無視された場合もある。今日あった良かったことなど、些細なことを報告しようとする、すると、だから何?それで?と返される。自分にとってはそれはウキウキすることだった。だから語った。しかし、冷酷に返される。萎縮する。

その場の空気を察知するのは、できるやうになろうと努力したわけではない。環境で自然とそうなった。そうでないと、甘えられなかったからだ。自分の気持ちをそのまま表現するためには、その場を読む必要があった。読んでいるうちに自分が何をもとめていかもわからなくなる。常に周囲の様子を伺う。

その場の空気を察知できることは、身を守ることに繋がる。しかし、身を守りつづけることをし続けても、身が守られることはない。人にこたえつづける。

そのような人はひとりの時間を持つことだ。最初は何をしようか悩む。どれをやってみてもワクワクしない。飽きる。何をしても継続が大切で自分なんかができないのではないかなんて思えてくる。

それでも、ひとりの時間を持つことだ。そうして頭を空っぽにすることだ。散歩してみたり、お風呂に入ってみたり、大の字になって寝っ転がってみたり、そのやり方はどんな方法でもいい。一旦思考が湧いてこない状態にするのだ。

すると、エゴのない意欲が湧いてくる。これからのためにこうしよう、これまではこれをやってきたから、あれをやろうと考えない意欲だ。過去や未来に囚われない意欲だ。そういった意欲にこたえると、下手でもやる。世の中にはそのやり方はこうと決められているかもしれないが、そんなことを無視してやる。自分の思うがままにやってみる。やることを楽しんでみる。

すると、ユニークなものをつくっている。自分らしさが全面に出たものがつくられている。表現できている。それは自然と生活できることにつながり、周囲には自分と同じく試行錯誤した人に囲まれている。みな子供のように目をキラキラさせた人である。

すると、より満たされる。空気を察知してなんだかうまくいかなかった自分から、それが強みとなっている世界にいつのまにか来ている。新しいことにどんどん挑戦できる。

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