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指導とコントロール

戦いごっこにはまっている息子に「けんとじゅうどっちが好きなの?」と聞いたら「けんじゅうが好き」と言われて、「おぉそうか」としか答えられなかった髙司です。#僕は剣派です

さて、今日は「後輩との会話から考えたこと」についてお話したいと思います。

先週の土曜日だったかに、奥さんがネットから拾ってきたのか、
「「子どもは親のいうことは聞かないけど、親のようになる」ってなるほどなって思った!」
みたいな話をしてくれました。

普段の奥さんとの会話を忘れがちな僕でも、まだその会話が印象に残っています。


【▼指導とコントロール】
話は変わります。
後輩と
「指導とコントロールは違いますよね」
といった会話になりました。

その会話の帰り道、教員2年目の自分を思い出しました。
僕は、指導という名のコントロールを子どもにしていました。

僕の考え通りに子どもが動くようにコントロールしていました。そのうち、いうことを聞かない子どもがでてきます。その子どもたちをさらにコントロールしようとして、さらに子どもたちはいうことを聞かなくなる。結果として今考えれば学級崩壊レベルでした。

初任のころの僕を見てくれていた先生に
「笑顔がなくなりましたね。」
と言われました。

そのころのクラスは笑顔がなかったです。

思い出話はここらへんにしとき、なぜ、僕はコントロールしたかったんでしょう。

①自分の思い通りに子どもたちに動いてほしい
見栄えはいいのかもしれません。静かにちゃんと座り、先生のいうことを聞いている集団。
今思うとくそったれですね。
#口が悪くなりました
#気を付けます

②自分の考えとは違う子を認めたくない
僕が言ったことと違うことをする子がではじめたら、クラスのみんなが僕のいうことを聞かなくなるんじゃないのかと不安になっていたのでしょう。
今思うとくそったれですね。
#器の小さい男

ようは自分の考え通りにならないことが不安だったのでしょう。

不安がゆえに①②のような考えになり、結果とひてコントロールしてしまう。

この不安を解決することが、今までの教育から抜け出すために必要なのかな~と考える今日この頃です。


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