思うこと

今日は久方ぶりに、湯船にお湯を張りました。
昨今冷え込みがキツいので、シャワーだとどうにも長風呂になってしまっていけません。
特にガス代、これが馬鹿にならない。
どの道お湯を大量消費するのであれば、湯船に浸かった方がQOLの観点からすると良い。そんな打算です。

さて、昨今のツイッターでは対馬の武士がお風呂に入ったり、島流しにされた姫が稲作に励んだりするゲームが人気です。
なんだかとってもLOHASな風潮です。
農業しかり、筋トレしかり、森の動物暮らししかり、対馬の武士しかり、軟体生物どうしでのインクのぶっ掛け合いしかり。
誰かの日常を非日常として、アクションも交え追体験するという行為は、ゲームならではの楽しみ方なのかもしれません(武士や烏賊の日常が果たしでどんな風なのかは浅学にして知りませんが)。

対馬の武士ではありませんが、湯船に浸かると色んなことを考えます。
以前、私が通っていた中学校で、弁論大会という行事がありました。
各々が小論文よろしく作文をしてクラスメートの前で音読、投票で最も優秀な作品を決めるというヤツです。
私は確か、日本の文化が如何に共産主義的かを論じて「ワケがわからん」と総スカンを食らった覚えがあります。解せぬ。

そんな弁論大会で、学年の優勝候補として残った作品に「夢と野望」という物がありました。
曰く、夢というのはただ漠然と望みを抱くだけの現実味が無い代物であり、そこに断固とした達成の意思と現実的なロードマップが加わればそれは野望と呼ぶべきだ。確かそんな話だったと記憶しています。
10年以上も前に聞いたその話が、湯船に浮かんだ泡のようにふと脳裏に浮かんできました。

思えば三十路も前にして、なりたい自分ややりたい仕事、そんなことを考える機会は滅法減ってしまいました。或いは目前の「やるべきこと」ばかり目について、その目的が見えなくなったり。つい最近まで自身の将来に悲観していて、色々と投げやりになっていたのも背景にはあるかもしれません。

野望、抱けてないなぁ…また抱けるようになりたいなぁ…。

話は戻って弁論大会。先の「夢と野望」と優勝を争った別の作品に「ちょっとリッチな生活」というのもありました。
曰く『将来はちょっといい大学を出てちょっといい会社に入って、ちょっと美人な奥さんを貰ってちょっと幸せな暮らしをする。そんな大人に私はなりたい。』とか。

ユニコーンの名曲(迷曲?)『大迷惑』の歌詞ではありませんが、夢のマイホームに美人なワイフ、お金なんかはちょっとでいい。
そんな贅沢は言わないので、心が今より「ちょっとリッチに」。
そんな野望を抱く三十路になりたいと思う、冬の宵でした。

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