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2020年5月20日「悪者には何をしてもいいか?」

寒い。寒すぎるだろ、いきなり。

僕が住む茨城県大子町では最高気温が12℃くらいだったらしい。ついこないだ夏みたいだったのに!?

というわけで、ユニクロのウルトラライトダウンを着ながら日記を書いている。

最近のあれこれ

・ふと、以前親交のあった漫画仲間の人たちが今どんな感じなのか調べてみたら、みんなめちゃくちゃ活躍していた。僕も頑張ろう。

・基本はずっと家にいるのだけど、父の車検のために整備工場まで運転をした。前よりは大分運転も慣れた。

・はじめてワイヤレスのイヤホンを買った。おしゃれだけど耳が痛くなる。

最近のエンタメ

・アルコ&ピースの酒井さんがラジオで、オンラインのガールズバーを利用したことを話していた。なにそれ、面白そう!と思ったけど、どっちにしろお金はかかるわけで、我慢した。

・幻冬舎の編集者である箕輪さんに対する告発記事が文春で公開された。それに伴い、エイベックスの松浦さんの立場も危うそうだ。となると、気になるのはアベマTVのドラマ「M 愛すべき人がいて」に影響しないかどうかが心配だ。なんとか続いて欲しい。

・ホリエモンさんがTwitterのトレンドに入っていたので何事かと思ったら、俳優の山田孝之さんが沖縄に遊びに行ったという記事に対して「問題ないと思う」という投稿をしていて、それに対してリプで「問題あるだろ」的なのがたくさん来ていた。以前、親交のあるひろゆきさんがホリエモンさんのことを「繊細な人」と表現していた。ぼくは「えっ?」と思った。ネット上の堀江さんは攻撃的で常に喧嘩をしているイメージだったからだ。しかしながら、裏を返せばスルーすれば良いものに対していちいち反応して感情的になっているという言い方も出来るわけで、それくらい敏感で繊細とも言えるかもしれない。キンコンの西野さんは、アンチはわざわざ自分の時間を割いて宣伝をしてくれる有難い存在だと本で書いていた。カッとなって反論しても、養分になるだけだ。

・『テラスハウス』にずっとハマっている。久々に登場した「社長」と呼ばれるキャラクターのおかげで盛り上げりを見せている。テラハの考察をYouTubeで上げている人がちらほらいるので見てみたのだけど、「山里さんは芸として成立しているからメンバーの悪口を言っていいけど、素人の悪口は面白くないからやめた方がいい」と話している方がいた。それって、「政治が分からないやつは何もしゃべるな」的なことと一緒じゃないか?今のエンタメって感想とか批判含めてひとつのパッケージだと思う。

・ネトフリで久々に面白い映画を観た。『ノクターナル・アニマルズ』という映画だ。

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アートギャラリーを運営する主人公のもとに、20年前に分かれた夫(小説家)から新作の小説が届くところから物語は始まる。現在の時間軸がありつつ、過去の回想や小説の物語の映像が主人公の心情や記憶を辿るように折り重なる。小説の中の物語は、過去の二人の出来事と明らかにリンクしている。それは夫からの復讐のメッセージなのか、それとも…。という感じ。めちゃくちゃ面白くて、その後ネットの考察を読んだけれど、映画の本質の半分も理解できていなかった。逆に言えば、それだけ奥深く、いろんな視点を持てる映画だと思う。

時事ネタ

僕はお笑いが好きだ。そのなかでも爆笑問題さんはトップクラスで好き。サンジャポもカウボーイも日曜サンデーも聴いている。特に太田さんの「予定調和をぶっ壊す」雰囲気が好きだ。何かやらかしてくれそう感。ヒリヒリ感。『27時間テレビ』での鬼越トマホークとの絡みは記憶に新しい。あれでこそ太田さんだと思った。

それでもずっと第一線でいられるのは絶妙なバランス感覚を持っているからだと思う(一度干されたことがあるらしいけど)。単に炎上目的なら過激なことを言ったり、世間とは逆の意見をあえて言ったり(逆張り)すれば注目されるだろうけど、太田さんは自分の意見をちゃんと持っている人だと思う。最近のコロナの話題に関しての発言にしても「今はお互い(自粛派と経済回す派)が敵対することが一番まずい。協力して立ち向かうべき」的なことおっしゃっている。世間的な太田さんのイメージからはちょっと想像しづらい発言だと思う。

そんなわけで基本的に爆笑問題は好きなのだけど、時事ネタに関しては今だにモヤモヤするというか、自分の中で整理ができていない。爆笑問題の漫才は時事ネタを扱うものであるし、ラジオなどでも頻繁に時事ネタを扱う。それこそ太田さんはその時な旬な話題やフレーズをしつこいまでに多用する。そこが面白さでもあるのだけど。

お笑いが国家権力に対するカウンターとして機能している(いた)というのも何となく分かる。だから政治家が何かやらかしたら、それを茶化すのもいいだろう(そうは言っても、野々村竜太郎氏なんかは、不正に対する怒りというよりも、いつからか野々村氏を使った大喜利のような雰囲気を感じていた)。ただ、単なる一般人やタレントが起こした不祥事や犯罪をネタにするのはどうなんだろう?不倫とか覚せい剤とかそういうやつ。

一般人で言えば、煽り運転をして有名になった男。彼は、行動や言動が特異であったから一気にメディアやネットのオモチャになった。太田さんも喜々としてネタにしていた。だけど、冷静になってみると明確な被害者いるわけで、その人の心情を考えると控えるべきでは?という気持ちにもなってくる。

じゃあ、誰も傷つかない、誰も不快にならない優しいネタをやるべきだろうか?それはそれでつまらない気がしている。僕は太田さんのヒリヒリ感が好きなんだ。

誰も傷つけない漫才と言えば、最近人気のぺこぱ。彼らだって無理やり因縁をつけることは可能だ。例えば、美容室のネタがあるけれど、「美容室に行きたくても行けない人の気持ちを考えてください」とか「美容師時代にイジメを受けていた時のことを思い出して辛いのでやめてください」とか。確かウーマンラッシュアワーの村本さんが「誰も傷つけない笑いは無理。何を言っても誰かを傷つける」的なことを言っていた。だけどそれは、傷つけてしまう対象として明確な誰かがいるわけでは無い。僕は、明確に誰かを傷つけてしまうケースについて、太田さんがどう思っているのか気になっている。

悪者には何をしても良いか?

先ほどは被害者側の気持ちについて考えた。じゃあ、犯罪者や何か悪い事をした奴に対しては何をしても良いか?

フィクションで考えてみる。

フィクションにおいて、明確な敵を作るとする。その敵はどんな悪いことをするかを考える。例えば、そいつが万引きしたとしよう。確かに犯罪だし悪い事だ。だけど、それを知った主人公がいきなりそいつをぶん殴って半殺しにしたとしたらどうだろう。ちょっとやり過ぎじゃないかと思うと思う。

じゃあ次に、主人公の家族や友人、恋人など大切な人を殺されたとしよう。そうなってくると、むしろ主人公がそいつをぶん殴って半殺しにしたとしても、やり過ぎどころか「もっとやれ」という心情になるのが普通だと思う。いやゆる、動機ってやつだ。主人公が行動するためには動機がいる。その動機が強いほど、物語はドライブする。だから、敵はより凶悪な方が良い。

僕はこの理屈にもとづいて創作された物語がちょっと苦手だ。ちょっと言い換えると「悪者なんだから何をしても良いでしょ感」が見えると冷めてしまうのだ。もっともそういった感情を持つようになったのは大人になってからだけど。

例えば「桃太郎」。桃太郎に登場する鬼は、村の作物を荒らしたり、宝物を盗んで迷惑だからというのが退治する動機だったと思う。でもそれは桃太郎側の視点でしか無い。もし鬼が、そうすることでしか生きていけない、もしくはそうすることが悪いことだと思っていないとしたらどうか。他の種族から盗むことが当然として育てられた鬼の子供視点で見ると、幸せに暮らしていた所に、突如やってきた人間(?)と動物集団に親を殺された可哀想な主人公にもなりうる。

現実社会の人間だって、魚や動物を養殖して食べている。人間に食べられるために生まれて死ぬなんて、残酷な運命だと考えることもできる。この場合、魚や動物視点で見れば鬼=人間だ。

ちょっと飛躍したので、現実的な問題で考えてみる。何か凶悪な犯罪が起きるとする。そうするとネットでは「犯罪者を死刑にしろ」「殺せ」といった意見が散見される。心情として理解できる。テレビのコメンテーターも「許せないですね」といった方向で統一される。それはそれで正しいかもしれない。けれど、そういった風潮になり過ぎるのも危険だと僕は思っている。

先ほどの桃太郎の話に置き換えると、例えばそうすることでしか生活ができなかったり、環境によって思考が形成された場合、100%その犯罪者だけが悪いとは言い切れないと思う。人は関わり合って生きている。誰とも接触せずに生きていくことはほぼ不可能だろう。ということは必ず誰かの影響を受けている。親の育て方や家庭での環境がより強く反映されるのは想像できるが、友人の何気ない一言で価値観が変わってしまったり、ひどく傷つき、それを何年も引きずることだってある。そう考えると、無意識のうちに人は人に何かしらの影響を与えている。となると、なにか犯罪があったとして「悪いやつは処罰しろ」というのは感情としては理解できるのだけど、もう少し多面的に見る必要があると思っている。

プチ恋愛話

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