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嫉妬という感情

僕はかなり嫉妬深いと思う。

それは、仕事においても恋愛においても。

今回はそんな『嫉妬』という感情について考えてみようと思います。

【漫画を読まない理由】

いつからだろう…?
漫画を読まなくなったのは。

いつの頃からか、僕は漫画を全然読まなくなった。

多分、純粋に漫画を読んでいたのは漫画家を目指す前だったと思う。小学生の頃は『ドラゴンボール』や『ダイの大冒険』を読み漁った。

中学生の頃、学校を休んだ時に兄の本棚からこっそり持って来て読んだ『ドラゴンヘッド』や『ヒミズ』のリアリティとエロチシズムに衝撃を受けた。

高校時代、『BECK』を読んでバンドをやっている自分を重ねた。

大学生にもなると、漫画通と思われたくて『AKIRA』や『風の谷のナウシカ』を揃えた。

大人になり、真造圭吾さんや宮崎夏次系さんのクールな作風に憧れた。

30歳近くなり、より自分のメンタリティに近い作品を求めるようになった。それが『モテキ』だったり『ボーイズ・オン・ザ・ラン』と言ったいわゆる非モテものだった。

しかし、漫画家を目指し始めると漫画が評価、もしくは比較すべき対象となった。つまり、単なる娯楽では無くなってしまった。

どんな構造になっているのか、絵柄はどうか、どんな演出をしているのか…。自分より劣っているところを必死で探しては安心した(つもりになっていた)。

自分が連載をするようになって、やがてそれもしなくなった。連載する前の方が、むしろ強気に思っていたかもしれない。漫画の告知をしてもリアクションが無いと焦る。「誰も読んでないんじゃないか?」「誰も興味が無いんじゃないか?」という疑心暗鬼に陥る。他人の漫画を読むと自分が劣っているという疑惑が確信になってしまうようで読めなくなった。

Twitterで「新連載が始まりました!」「重版しました!読者の皆さんのおかげです!」というツイートを見る度に心が痛む。

僕はTwitterもほとんど見なくなった。

どんどん世界が閉じていく。

だけど自分が傷つかないためにはそうするしか無かった。


【『劇場』を読んで】

又吉直樹さんの小説『劇場』を読んだ。前作の『火花』も読んでいるのだけど、主人公が考える(そして恐らく、又吉さんの考えでもある)創作論が、自分が考えていることと重なったりして面白い。

『劇場』は小さな劇団を主宰する永田が主人公。素直に感情を表現出来ず彼女を傷つけたりしてクズだなーと思うところも多々あった。正直、共感出来ない部分も多い。けれど、彼の「嫉妬」の感情は深く共感する部分があった。

永田の劇団とは別に、『まだ死んでないよ』という劇団が出てくる。その劇団は、業界で注目度が高まっていた。その劇団の公演を永田が初めて観た時の一節を紹介します。

面白いものを目撃し証人になりたいとする期待が、あちらから漏れ聞こえる押し殺したような会話によって、さらに増幅されるようだった。僕は野原とは離れて最後列に座り、ほかの客の後頭部を見ながら、館内のざわめきを受け入れることができず、観る前からこの芝居を罵ることを想像し、静まらない胸騒ぎを跳ね返そうとしていた。

終演後の一節。

『まだ死んでないよ』の作・演出を手掛ける小峰という男が自分と同じ年齢だと知り、不純物が一切混ざっていない純粋な嫉妬というものを感じた。彼を認めるということは、彼を賞賛する誰かを認めることでもあって、その誰かとは、僕が懸命にその存在を否定してきた連中でもあった。

小峰のインタビュー記事が載った雑誌を読む場面の一節。

インタビューをじっくり読む気にはなれず、飛ばし読みながら「朝食はパン派ですね」というような面白くない単語が目立つ部分だけを拾って読んだ。それでも「音というのは人によって全く違うものとして伝わる可能性があるから、初めからその前提で音をつけています」などと方法論を語っている箇所が目に入り、思わずどういうことだろう?と考えてしまいそうな自分を制し、「うるせえよ」と罵りながら後半はほとんど文字が読めないように寄り眼で読んだ。
たいしたことは言ってなかったと安心して雑誌を閉じたが、息を吸うと肺が縮まったような後ろめたさを感じて、結局は初めから読み返した。


『劇場』の永田は僕だと思った。


【近い存在に嫉妬する】

僕がこれまで誰に嫉妬したのか、書いてみようと思う。

このマガジンの読者は身近な人が多い(というかほとんど)ので、実名は書きづらいけど、まぁ本人に伝わってもいいかなーと思うので実名で書きますね。

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