#37 何の違和感もなくサラリーマンできる人たち

イケハヤさん:
何の違和感もなくサラリーマンできちゃうひととは、あんまり仲良くしないようにしてる。


■他人に対する違和感

小学校とかで「みんな仲良く」とかあり得なかった。
子供の頃から、誰とでも仲良くできるような人って信じられなかった。


■満員電車は地獄

自分は昔いっとき大阪市内に住んでいて京都市内の会社に勤務することになった。
京阪電車で通勤しようとしたが、ものすごい満員電車に耐えられず京都の会社近くに引っ越した。
1年も経たずして勤務先がまた大阪にもどったら、また大阪の会社近くに引っ越した。
自分は満員電車に乗ることは絶対に無理だったから。


■ぶっ壊れている人たち

毎日、満員電車ですし詰めになって通勤している人が全く理解できなかった。
というより恐ろしかった。
人間性を持っていないように見えたから。
人間性どころか動物の本能すら持っていないと思った。
動物が絶対的に確保しようとする「パーソナルスペース」
それが失われた状況では動物は殺し合いを始める。

なのにそれが全くない状況を平気で受け入れているとしたら、どこかぶっ壊れている人間としか思えなかった。
間違いなく彼らは他人のパーソナルスペースを侵害しても平気な人種だと。
そんな人種があれだけ大量に普通の顔して歩いていることにゾッとしていた。


■なんで満員電車に乗るの?

満員電車を回避する手段はいくらでもあるはず

  • 別の電車に乗る(始発、鈍行、etc)

  • 別の交通手段で通勤する(バス、車、自転車、etc)

  • 勤務先の近くに引っ越しする、宿泊する

  • 勤務時間を変える

  • テレワークする

  • 職場、仕事じたいを変える

  • etc

これだけ選択肢があるのに満員電車通勤に甘んじて耐え続けている人は、おそらくそれらを検討すらしていないと思う。
思考停止してどんなひどい境遇でも無条件に受け入れているように見える。
それができる人はある意味すごいと思うけど、ひどく言えば社会に悪い影響を与えている。


■狂っている風景がふつうに見える

非人間的な状況を普通に受け入れているのは「非人間的ではない」というメッセージを発しているのと同じだから。
あれだけ大量の社会人が毎日繰り返している日常行為なので、当然ながらごく普通のこととして受け止められてしまう。
無自覚、無意識とはいえ、異常なことを当たり前と感じる空気の醸成に加担している。
でも決して普通のことなんかじゃない。自分は気狂い沙汰だと思っている。


■いつまでつづくの?

コロナ禍でも、首都圏などでは満員電車の殺人的な状況は変わっていないらしい。自分が世の中に対して根本的な違和感を抱えている理由の一つにこの思いがある。
エレベーターで他人と一緒になることでさえしんどい自分には異星人にさえ映る。
また世の中には、満員電車をひどいとさえ感じていない人もいるらしい。
そういう「無邪気な」人たちは、自分にとっては本当に異星人なので問題外。
(悪く言うつもりはないです)

「何の違和感もなくサラリーマンできる人」と「何の違和感もなく満員電車通勤できる人」は同義ではない。
でも、自分の人間性が圧迫される状況や境遇に疑問を感じない人は、他人の人間性も圧迫すると思っているので根本は同じ。