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ガラテヤ1:1-5 I. キリストの福音による恵みと平安のため(1)

「ガラテヤの諸教会はパウロを通してキリストの贖罪による福音を知った」

「キリストは、わたしたちの父なる神のみ旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」(1:4)

聖書を読むと、突然、外国のど真ん中に入り込んだような。よくできていない推理小説、ミステリーみたいでもあって、状況が全く分からないままに渦中に放り出された感じになります。推理小説なら、読者に状況説明をしてくれるわけですが、聖書の最初の「読者」は、もともとは事情を知っている人たちで、そうした説明はまとめて書かれる必要はありませんでした。

ですから、読み進めながらいろいろな「謎」を解くために、ジグソーパズルのピースを拾い集めるようなことになります。パウロがガラテヤの諸教会に書き送ったこの手紙も、新約聖書のあちこちからのピースがやっぱり必要になってきます。

そんなこんなが、聖書を読みにくくしているわけですが、ミステリーを解く!つもりであちこち調べるのは、案外と面白い作業。これが、バイブル・ワールドです。

さて、ガラテヤ・ワールドにはいる入口は、2000年前の手紙の習慣に沿って、手紙の差出人と宛先。そして、挨拶、となります。パウロは紋切り型の言葉を書き並べることなどはせず、ここですぐに大切なモチーフを提示します。

(1) 1:1-2 キリストにある差出人・あて先 

1 人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、 2 ならびにわたしと共にいる兄弟たち一同から、ガラテヤの諸教会へ。

A.使徒パウロ、兄弟たち一同から

日本語の訳文ではいろいろな修飾語が先にあるのですが、原文では文頭に「パウロ」と一言。本人はユダヤ人で、別の「サウロ」というユダヤ名を持っているのですが、こうした手紙を書く時はいつもパウロの名を使っています。

インドネシアは多民族国家で、当然、華僑も多くいるのですが、歴史的事情があって、およそ40年間ほど中国語は公式には使うことができませんでした。それで、名前もインドネシア名と中国名、使い分けています。実際、外国人の名前は、聞きなれないと覚えるのも大変。現実的な華僑は、実を取って名を捨てたわけです。世界に離散しているユダヤ人も、そうした名前を持っていたのです。

パウロの第一の肩書は、「使徒」。「イエス・キリストと神とによって立てられ」て遣わされたのが使徒です。ギリシャ語で「エウァンゲリオン」。コミックでは、地球に襲い掛かってくるのが「使徒」でしたが…。

旧約聖書で、神に遣わされて神の代弁者として人々に語るのは「預言者」でした。一語とも間違えず言われた通りのことを伝える務めです。使徒はイエス・キリストの証人で、その教えと、死からの復活を証言する人々です。12人の使徒がもともといたのですが、パウロはイエス・キリストの昇天後に立てられた、特別な使徒だったのです。(使徒行伝9章)

そのことが問題を引き起こすことになります。パウロは本当にイエス・キリストの使徒なのか、その教えをちゃんと知っているのか、という疑惑です。そして、十二使徒ならエルサレムにいるではないか、パウロはどこから来た者なのだ?と。

それで、この言葉が手紙に書き添えられているのです。「人々からでもなく、人によってでもなく」。誰かに推薦されたり、誰かの権威によって立てられたのでもない、ただ、イエス・キリストと父なる神によるのだ、と。

手紙のこの次の部分ではっきりするのですが、パウロの使徒性を疑わせる人々が教会をかき回します。彼らは、「エルサレムから」という権威をにおわせながら、諸教会に入り込んでいました。そのような人々との違いを際立たせるために、パウロはわざわざ「人々からでもなく、人によってでもなく」と、ここで言っているのでしょう。

そして、最初の大切なモチーフが掲げられます。「彼(イエス・キリスト)を死人の中からよみがえらせた父なる神」。死人の中からよみがえらせ神が、すべての希望の源泉でした。パウロが使徒として活動し始めるのも、死んでいなくなったはずのイエス(とパウロが最初は思い込んでいた)が、天からパウロに声をかけてきたからです。

よみがえりへの希望は、闇の中に光が点じられるように、絶望の闇を取り払ってしまうものです。宗教の教えが人を救うのではなく、宗教の修行でもない。何かを行うことによって、神や神の救いに近づくのではない。パウロの最大のモチーフ、希望の源泉は、イエス・キリストの復活という歴史的事実を成就させた神にあるのです。

B.ガラテヤ諸教会へ

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「ガラテヤ」地方は、今のトルコの中部に位置するローマ帝国の属州でした。紀元45年~49年のあたりに、パウロはガラテヤ地方を訪問し、町々に教会を設立しています。一般にパウロの第一次伝道旅行と呼ばれるものです。(使徒行伝13‐14章)

この旅行で、パウロはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で説教を求められ、繰り返し福音を語ります。それによってイエス・キリストを信じる者たちが次々と起こされたのでした。その中には、ユダヤ人だけではなく、「神を敬うかたがた」と呼ばれる異邦人も含まれていました。ユダヤ人としての契約に入る割礼は受けていないけれども、ユダヤ教の教えに共感して信奉する異邦人です。律法やいろいろな宗教規則にも通暁していた人たちだったでしょう。

ガラテヤ諸教会の初期メンバーは、異邦人とは言っても、そのようなユダヤ教の教え、伝統になじんでいた人が中心だったと思われます。彼らは、パウロの説教によってイエス・キリストの福音を知り、信じて、キリスト教会を形成していきました。基本的には、ガラテヤの諸教会は、もともと律法の下にあった人々だったのです。

この人々が、エルサレムから来た、という権威に簡単になびいてしまい、せっかく受け入れたキリストの福音の根幹が崩されてしまいます。その知らせを聞いて、すぐさまこの手紙が書かれたのでした。紀元49年頃だったと推測されます。


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