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はじロー(10) 真実な方

ローマ人への手紙3章1-4節

真実な方

「これが私の神」と誰かに紹介しても、「おまえの神などたかが知れている」と言われたら、どう答えるでしょう?

高潔で品行方正で、しかもユーモアもあって何でもできるスーパーマンだったら、スーパーな神だと思ってもらえるのでしょうか。

聖書の神は個人の神ではなく、ユダヤ人の神なんでしょ、そのユダヤ人が世間的にはすこぶる評判が悪いんだけど、という時がありました。ローマ帝国時代、ユダヤ人が国の独立を求めて繰り返し反乱・暴動を起こす人物が現れては消えていたようです。

パウロが話題にしているのは、イエス・キリストとその追随者・弟子たちを排除しようとしたユダヤ教の指導者層のことだったでしょう。ユダヤ人自身が拒否しているユダヤの「救い主」って、信用できるの?

旧約聖書に記録されているユダヤ人の不真実な歴史が、事実そのとおりであったわけです。それはかえって、神がはじめから約束していたことの実現で、神の真実さが現されていると言えるのでした。

ユダヤ人の祖、アブラハムへの約束は、こうでした。(紀元前20世紀)

わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、
 あなたを呪う者をのろう。
 地のすべての部族は、
 あなたによって祝福される。」
創世紀12章3節

モーセに与えられたユダヤ人への律法の預言はこうでした。(紀元前15世紀)

あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。

もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。
申命記28章2節、15節

それが、アッシリア捕囚、バビロン捕囚として実現したのが、紀元前8世紀、および紀元前6世紀です。

500年、1000年の単位で預言が成就している比類のない預言の書であり、比類のない真実な神の言葉は、聞き続けるに値するものです。

そして、ユダヤ人をはじめギリシャ人も、すべての異邦人も、この言葉の真実さに気づくべきなのです。伝統にとらわれて、自分が今、習慣的に行っていること、その考え方を省みるチャンスだと思います。

ローマ人への手紙 3章 1〜4節

それでは、ユダヤ人のすぐれている点は何ですか。割礼に何の益があるのですか。あらゆる点から見て、それは大いにあります。第一に、彼らは神のことばを委ねられました。では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「それゆえ、あなたが告げるとき、あなたは正しくあられ、さばくとき、勝利を得られます」と書いてあるとおりです。


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