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切に願うのはスルー、から一転。。。
切に願うことを、はじめからスルーしていた。クールに、といえば聞こえはいいが、願ったことがそうならないときの失望感が、たまらなく嫌。何かを始めたら、仕上がるまでにやりあげてしまわないことには、気がすまないのと、一緒かもしれない。目標達成できないことは、辛い。達成できない目標は、持たない。
神よ 私の祈りを耳に入れ
私の切なる願いに 耳を閉ざさないでください。
私をみこころに留め 私に答えてください。
私は悲嘆に暮れ 泣き叫んでいます。詩篇55:1-2
あと少し、というところで足踏み状態で、ここで切に願うことはどうなんだろうか。次回こそは、と思いながらも、そうならない時に、やはり失望してしまうかも。それなら、そこそこの願い、というくらいにしておいて、できなかったときの失望レベルも予め引き下げておいても、悪くはないだろう。
……と思っていたのだけれど、どうも違う。目標も、達成できる目標しか持たないというのなら、それもつまらないし。失望を恐れて望まないというのは、いったい何なんだ。何も発展しないし、後ろ向きすぎはしないか。
ところが!願ったことが結局ならなかったとしても、それ以上のことがなるかもしれない、だから、ならなくても良かった、と思えたら、失望もしないし、それ以上に、切に願うことを、思い切ってできる、と、気がついた。こんなかんたんなこと、なんで気が付かなかったんだろうか。失望しないように、と願うことを放棄してきた、今までの事ごと、復活させてもいいかも。。。って、忘却の彼方に行ってしまっているかも。。。。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)
(写真は2016年アルバムから)
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