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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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#神

シンガク・ノート メモ

めもめも 旧約聖書 新約聖書 その他

キリしよん(11) 天国を持つ人、持たない人

マタイ25:14-30 キリストの終末預言、略して「キリしよん」。譬と同じで、説明を聞かないとこれだけ見てもわからない、ですよね。 天国の譬話が続きます。「タラントのたとえ」というタイトルで有名な個所です。 前回は、思慮深いか思慮が浅いか。その違いは、「わたしはあなたがたを知らない」と言われて置いてけぼりにされるほどのものでした。でもその譬による教えの結論は、むしろ、恵みをほうふつとさせるものでした。 今度の譬は、「良い忠実な僕」「悪い怠惰な僕」の違いを教えてくれるも

ヨハネ福音書ノート 「はじめにことばが... そして過越の祭が近づいた」

教会でヨハネ福音書を通読して学びました。 随所にある、とても大切なフレーズを、それ以前にいくつか学んだことはありますが、全体を通して学ぶのは、これがはじめて。ヨハネは、ほかの福音書が記していない独自の視点から、神の御子であるイエス・キリストを描いています。 イエス・キリストの時それが、「はじめに」あった「ことば」。ある「時」人となった。バプテスマのヨハネの登場ではじまったその「ことば」についてのあかしは、「その翌日」のあかしに続き、さらにキリストが人々に直接触れていく日々

III-1 すべての人が信仰によって死のからだからの救いを得て生きる

ローマ 5:12-8:39 ローマ人への手紙第三部の最初の議論は、ユダヤ人もギリシャ人も、すべての人がかかわる「罪のからだ、死のからだ」からの救いについてです。 こころ・霊とからだ霊は生きても、からだが死んだままでは、神の栄光をあらわす本来の人間としての働きはできない、とパウロは看過しているようです。人が神に生きるためには、「罪のからだ」(6:6)、「死のからだ」(7:24)から救われることがまず必要になるのです。 聖書が示す人間像は、魂と体が一体の存在です。それが、人