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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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2021年7月の記事一覧

キリしよん(12) キリストが栄光の座につく時

マタイ25:31-30 マタイの記しているキリストの終末預言、最後となりました。 弟子たちがエルサレム神殿の素晴らしさに驚嘆したことから始まったキリストの預言は、神殿の崩壊、キリストの再臨、世の終わりについて弟子が質問したことへの答えでした。 聖書の「預言」は、旧約聖書では、すでに語られた教えに神の民が従うか従わないかによって未来において祝福となるか呪いとなるかの宣言、という形でした。教え・勧告と祝福・のろいが、神の民に語られた全体が、神の預言です。 キリストの終末預

キリしよん(11) 天国を持つ人、持たない人

マタイ25:14-30 キリストの終末預言、略して「キリしよん」。譬と同じで、説明を聞かないとこれだけ見てもわからない、ですよね。 天国の譬話が続きます。「タラントのたとえ」というタイトルで有名な個所です。 前回は、思慮深いか思慮が浅いか。その違いは、「わたしはあなたがたを知らない」と言われて置いてけぼりにされるほどのものでした。でもその譬による教えの結論は、むしろ、恵みをほうふつとさせるものでした。 今度の譬は、「良い忠実な僕」「悪い怠惰な僕」の違いを教えてくれるも