自己肯定感という魔物
こんにちは。草壁です。
自己肯定感って何なんだよっ!(怒)
のっけからご挨拶ですが、この自己肯定感とかいうヤツ、育児関連の書籍やネット界隈で必ずと言っていいほど目にします。「わたし? わたしってばあれよ、世界一可愛くて最高の愛され女子よ、ドヤァ」というアレです。(たぶん違う)
まあここまで極端な増長マシーンでないにしろ、ありのままの自分に自信を持って、前を向ける心構えみたいなものを養っていくのが大事、とそんなように解釈しています。褒めて伸ばす、というのが基本みたいな。それはよく分かるんですけど。
その肯定感とやら、私にはないんですが……
これはもう自分語りになってしまうので何か恥ずかしい限りですが、自分に自信を持つってどういうことなんでしょうかね?
なんにでもなれると思っていた幼少期はともかく、自分が特別でも何でもないと気付いた思春期を経て、私の中には常に「何者にもなれなかった自分」という後ろめたい罪悪感のようなものがつきまとっています。
お偉い学者になったわけでも、バリバリ敏腕サラリーマンになったわけでも、特殊な資格をとったわけでも、youtuberになったわけでも、作家になったわけでもない。
何もかもが半端な半人前、どうせね、という自意識が抜けないのです。
この話は妻や友人など色んな人に話したことがあるのですが、おおよその返答は「何贅沢言ってんだ」というようなもの。確かにその自覚はあります。一つの家庭をもって、少なくとも今まっとうに毎日生きていることの何が不満なのかと。
頭では理解しています。でもこれはある意味私の負のアイデンティティで、「いつか何かにならなければならない」という強迫観念があるからまっとうになれる部分があります。芯のない人間の最後の骨格というか、まあ、贅沢なんでしょうけども。
話は戻って、そんな自己肯定感のない私が、娘にそれを教えなければいけません。こんなハードルったらないでしょう。知らないことを教えろというのです。無茶ぶりです。
口先だけならいくらでも言えるんですよ。自信もって生きろ! 自分の信じた道を進め! ええ、いくらでも何でも言えます。でも、中身の伴わない言葉は絶対に見破られます。たった二年でも、子どもの鋭さは痛いほど感じています。その場限りのごまかしは、絶対後々しっぺ返しになる。
もしかしたら、一番育児で悩んでいるのがこの部分かもしれません。生きるための能力は、そのうち何とか教えられる。勉強だって運動だってある程度までは教えられるでしょう。でも、心構えは感じてもらうしかありません。そんなものを持たない親から、否が応にでも。
私も日々父親として成長しなければならない、とは常々思っていることです。
何者でもないが、娘の父である自分、ということを意識していきたいですね。
ほんと、いいお父さんって何なんだろう……
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