見出し画像

「Left to my own devices」に見る、イギリス人的引きこもりとそのイジり方

序文

イギリスのシンセテクノ系ユニット、Pet shop boysの楽曲の一つに「Left to my own devices」という曲がある。

https://youtu.be/Ed1tv_gCOUA

noteのガイドラインにという"著作権について"という項目があった。
そして歌詞の引用について、Q&Aがあった。
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360011270854-%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%8C%E8%A9%9E%E3%82%92%E6%8E%B2%E8%BC%89%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B-

歌詞の引用は、おそらくアウトだ。
しかしこの曲を説明するためには、このページを読む方にこの曲の歌詞を知ってもらわなければならない。
ということで、拙いが和訳する。
あと、どうしても原詞を見てもらわないと意味不明な部分がいくつかあるのでそこだけは引用する。

Left to my own devicesの和訳

1番:
10時半にベッドから起き上がって、パーティ狂いの友達に電話する
テレビのチャンネルをニュースに合わせて、紅茶を飲むんだ
もし君が側にいるなら、買い物に出るのも良いかもね
ある日は本を読んで過ごし、また別の日には(車の)教習所に行くのさ
(勉強でも車でも)試験に受かったら、ライバルを蹴散らせるよ
でも僕は誰かと競うのも外でおしゃべりするのも好きじゃないんだ
パーティ狂いな連中からおいしいところだけを掠め取ろう

サビ:
君の元から立ち去ることも
さよならを言うこともできたんだ
君を愛する努力だって
できたはずなんだ
それ以外も
僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ

2番:
"ザ・サン"(=イギリスで発行されているゴシップ系タブロイド)に関するパンフレットを手に入れて
写真家がカメラで切り抜いた現実から目を逸らすことを覚える
"(ナイト)クラブに来いよ"って誘われたこともある
"もしも仲間が欲しいなら、つるみたいなら"って

僕はいわゆるぼっちで、腕力もからきしだし何の面白みもない
他人の目から隠れて庭の隅っこにひきこもってたんだ
誰かと競うなんて嫌だ、路上でだべってるのも嫌だね
誰にも知られることのない人生の中で、僕は禿頭の将軍だった

サビ:
君の元から立ち去ることも
さよならを言うこともできたんだ
君を愛する努力だって
できたはずなんだ
それ以外も
僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ
僕に選択肢が与えられたなら

ブリッジ:
多感な年頃に選択を迫られた
小説家になろうか?
それともステージに上がろう(=俳優になろう)か?
はるか遠く、後ろの方で足音が聞こえたんだ
チェ・ゲバラとドビュッシーがディスコ・ビートにノッている

3番:
罪に問われるわけじゃない
僕が君のすることを思い浮かべるのは
家に帰る頃にはすっかり夜も更けて
グラスにビールを注いでテレビで試合中継を見る
テレビを消したら、何となく本を眺める
電話を取って、食事の支度をして
もしかしたら僕は一日中起きているかもね
君がこう言ってくれるのを待ってるんだ

サビ:
君の元から立ち去ることも
さよならを言うこともできたんだ
君を愛する努力だって
できたはずなんだ
それ以外も
僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ

大サビ:
ねぇベイビー、さよならって言っておくれよ
君を愛する努力だって
できたはずなんだ
それ以外も
僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ
僕に選択肢が与えられたなら


……うわぁ。
1番と2番の歌詞にギャップがありすぎる。なんじゃこりゃ。
サビに"Left to my own devices,I probably would"(僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ)とあるので、これは歌詞の1番がぼっちで引きこもりな主人公が考える「陽キャな僕」の理想の一日で、2番が実際の「僕」が過ごす現実の一日の話を歌ったものだ。
歌詞の所々に意味不明な言葉が出てくるので、これについて解説を追加する。

禿頭の将軍

"round head general"(丸い頭の将軍)。丸い頭ということで禿頭と読み代えて検索したところ、以下の人物がヒットした。
禿頭王というあだ名を持つ人物、シャルル二世である。

彼の禿頭王というあだ名には諸説あるが、「頭が禿」という意味ではなく彼が幼少のころ、または王に即位してもしばらくの間固有の領土を持たない=王冠がない王という意味で呼ばれていた、という説がある。
この曲の歌詞を書いたNeil Tennantがぼっちの"僕"を自分の居場所がない人物、という意味で"round head general"(禿頭の将軍)と例えたのではなかろうか。

チェ・ゲバラとドビュッシー

"Che Guevara and De'bussy to a disco beat"(チェ・ゲバラとドビュッシーがディスコ・ビートにノッている)。この部分について書いてみる。

チェ・ゲバラとは、キューバのゲリラ指導者で本名はエルネスト・ゲバラ。"チェ"とは南米で使われるスペイン語で「やぁ」という呼びかけや「ダチ(友達)」の意味だそうだ。

そしてドビュッシー。
クロード・アシル・ドビュッシーはフランスの作曲家で、「月の光」や「アラベスク」といった名曲を残した。

この二人の共通点は「それぞれが自分の住む世界に革命をもたらした」という部分である。チェ・ゲバラは社会主義の理想を抱いてキューバ革命を達成し、ドビュッシーはそれまでの「作法」とは異なる作曲の技法を用いて音楽界に新たな風を吹き込んだ。

「はるか遠く、後ろの方で足音が聞こえたんだ。チェ・ゲバラとドビュッシーがディスコ・ビートにノッている」とは、サビで記される「僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ」と合わせて、「自分の人生の分岐点(=革命)が背後に迫っていることに気づきながら、何の選択もしなかった/選択肢が用意できるだけの努力をしなかった」という暗喩と思われる。

君にさよならを言うことも、愛することも

"I could leave you,say goodbye I could love you if I tried"(君の元から立ち去ることも、さよならを言うこともできたんだ 君を愛する努力だって)
サビにしばしば出てくる「君」とは特定の誰かではなく、ほかならない「ぼっちで引きこもりの僕」自身を指す。
サビの本当の意味は「クソッタレな自分に別れを告げて新しく始めることも、ダメな自分を愛してやることもできたんだ=変わりたかったけれど、変われなかった」となる。
そしてそのあとに続く"Left to my own devices,I probably would"(僕に選択肢があったなら、きっとそうしたさ)と合わせて、「僕」を「あれこれ言い訳しているだけで自分から動こうとしなかった人物」と評していることになる。

僕に選択肢があったなら……あるわけがない

"devices"=選択肢とは、あくまでも努力を重ね、自分の来るべき未来に対して準備した結果発生するものであり、何もしなくても誰かが与えてくれるとか、その時が来たら自然と目の前に現れるようなものではない。
歌に出てくる「僕」は怠惰な生活を送りつづけた結果、MVに出てくるようにガラスの床の底側からきらびやかな成功者の世界を見上げて眺めつづけるだけ。チャンスの吊り輪が視線の先に見えていたとしても、ガラスの壁に阻まれて手が届くことはないのだ。
変わることを望まず、自分一人だけの世界に引きこもった「僕」は、典型的な陽キャになってハッピーな自分を夢想して現実から目を逸らし、一杯の安くて温いビールで喉を潤しながら今夜も眠れぬまま朝を迎えるのだ。

Left to my own devicesって何?

この曲を初めて聞いたとき、私には意味がよくわからなかった。
翻訳の乗ったライナーノーツを読んでもこの曲についての解説は特になかった。
インターネットが普及して、海外の楽曲の歌詞翻訳はいくつも上がるようになったが、「その歌が何を意味しているのか」という解釈や解説はついぞ見当たらなかった。
だから、自分で翻訳した後解釈してみた。
この曲に対して抱いた疑問が、後の水星の魔女考察、という名の私が垂れ流す妄想駄文を書き散らす原動力に繋がっている。
何故?何故?何故そうなるんだい?と今も尋ねつづけている。

この曲はブリテンジョークに塗れたPSBによってお送りします

この曲、イントロがちょっとサスペンス的な雰囲気で始まり、アウトロが大団円風味で終わるのだが、が、が。
おい、Pet shop boys!何一つ問題が解決していないのに「めでたしめでたし」みたいな雰囲気で曲を終わらせるな!だから私が困惑するんだよ!

歌詞引用元:
Left to my own devices 
https://g.co/kgs/KnJ6uF

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?