『天気の子』感想

※こちらは、以前ブログで書いた記事(2019/8/4)(2019/9/22)を再編集したものです。

【ご注意】この記事は、映画『天気の子』のネタバレを含みます。

あまり情報を入れずに観るのが楽しい映画だと私は思いました。
己の感性ひとつで観るのがオススメです。

【大人と子どもについて】

この映画、総評してムチャクチャ良い映画には間違いないのですが、
序盤にしても終盤にしても
「"16歳貧困無力映画"じゃん…………」と、
暗澹たる気持ちにならざるを得ませんでした。

爽やか映画のツラをしていますが、
貧困・身寄り無し・16歳の人間が
どれほど不自由で無力かを
みっちり見ることができる作品です。
なぁこれ大衆向けか?

少し自分の話をします。
私は大人です。
今は会社員をやっていて、一応は安定した生活があって、親元を離れて一人暮らしができている。
このカギカッコ付きの「自由」を手に入れたのは、私はすごく最近のことだと思っています。

私はかつて子どもでした。
今思い出してみると、私はひどく不自由で、
置かれた環境から逃げようとしたつもりでも
結局一歩たりとも離れられたことはありませんでした。
お金がなければ一人では生きていけない。
息苦しさを感じたとしても、
養ってくれる実家・生まれ育った地元・学校に生きることは、限りなく合理的な選択でした。
私は戦わない子どもで、
それはおそらく社会的に"正しい"ことでした。

何もできない無力な子どもが、
無茶苦茶をやってしまう映画、『天気の子』。
彼らの選択は、あまりにも"正しくない"。
それを2時間に渡って見せられた私は、
その残酷で、矮小で、どうしようもなく甘美な「16歳の自由」に
くらくらしてしまいました。

私は、この気持ちをどうしていいかわからないわけです。
私は大人なので、子どもには戻りたくない。
大人になってしまったので、もう子どもには戻れない。
その二つが、ぐるぐると私の頭を回ります。


【大人と子ども:お金の話】

この作品の「大人対子ども」の象徴は
お金(金銭感覚)だと思いました。
大人の現実(≒お金の必要性)が痛いほど出てくるわけですが、
一方で、仕事の報酬がめいめいの額で支払われるあたりは微笑ましかったですね。
激安依頼設定額や極貧ご馳走メシは、微笑ましさをちょっと通り越している気がしますが。

「お金がなければ何もできない」と
「お金で買えない幸せがある」の行き来、痺れちゃうぜ。


【自分の意味を見つけた陽菜】

私の好きなように解釈した結果ですけど、
陽菜は、絶対に、そこそこ序盤で察していたと思います。
自分の身の危うさを。

ただ、あの仕事を続けていたのは
自分に迫る危機と
「誰かを喜ばせることができる」
「自分が必要とされている」
「自分の意味を見出した」
ということを天秤にかけて、後者が圧勝したのだと推察します。

本作における「日常パート」とも言えるお仕事シーン、
陽菜さんが覚悟決めてやってるのを思うとグッときますね……。

※この点については、2回目を観た際に新たな気付きがあり、号泣することになります。(後述)


【個人的なひっかかりポイント】

『君の名は。』のときにも強く思ったのですが、
恋愛感情(らしきもの)を持っていることを描く根拠を
「互いに異性であること」に頼りすぎているという印象を受けました。
まぁそもそもボーイミーツガールとはこういうものかもしれませんが。

『君の名は。』を観た後に知り合いも
「三葉は奥寺先輩が好きなのだと思っていたから、よくわからないまま話が進んでいった」と頭がバグっていたので、
この感覚は私だけじゃないのかなと思います。

『君の名は。』からの引き継ぎで、
前もって「こいつはヘテロセクシュアル前提のアニメーション映画だな」と認識したうえで観に行ったので
『天気の子』ではそこまで混乱しませんでしたが。

帆高の童貞っぽさ(失礼)がわざわざ描かれることで、本作擬似家族の圧倒的な良さに浸りづらいように私は思ってしまうのよなぁ。
ラブホのシーン(全年齢)も、家族団欒のあとに川の字のベッドでアレ(全年齢)はちょっと気まずくない?先輩が。

擬似家族もの……嫌いじゃないですけど。


【東京の風景がすごい】

当たり前のように2時間見ていたけれど、
ハチャメチャにリアルな東京の風景が
(企業ロゴ含め)終始映され続けるのは
本当にすごいことだと思う。すごい。


【打ち上げ花火、横から見るか】

あのシーンも綺麗ですよね。実質ソアリン。


【倍賞千恵子関係者について】

あのシーン、マジで数百人の観客が一気に息を呑んだ音が聞こえた。
噂は本当だった。
しかも倍賞千恵子関係者のシーンだけ作画に気合が入りすぎていて、3D……もはや4Dの域に達しているのでは……?
私は倍賞千恵子関係者のことを考えすぎて、
その後のお堂の神主の話が全く頭に入ってきませんでした。

ネタバレにならないギリを攻めると
つくづく「倍賞千恵子関係者」以外の言葉で表現できないので、
本当に天才ワードだと思った。

この言葉を生んだ天才の感想記事はこちらです。
『天気の子』、演出がエグすぎないか
このツイートもめちゃくちゃ好き。
神話的正しさを無視する場面は必ず物理的に正しい場面
リンク先はどちらもしっかりとネタバレがあるのでご注意ください。


【結末について】

「00年代マルチエンディングPCノベルゲームみたいだ」という感想がTwitterで話題になってたりしましたが、
実際観て「これ隠しエンドじゃん!」ってなりましたね。

言うて映画作品って「〜HAPPY END〜 全て丸くおさまりました、ちゃんちゃん」みたいな終わり方するじゃないですか。
『君の名は。』も、こういうハッピーエンドな印象だったんですけど、
『天気の子』は周回後のみ現れる選択肢を選んで辿り着けるifの世界線……みたいなエンディングでした。

この点で、私個人的には
『君の名は。』より、『天気の子』のほうが好きです。
王道やお行儀の良い幸せにクソくらえする話、大好きなので……。

しかし、彼らが無責任に成し遂げたことを、
1385万人(平成31年推計)がひっくり返ることを、
その無責任を世界が受け入れて変わっていくことを、
この令和元年夏に描いて、何を伝えたいんだろう?もう少し咀嚼する時間が欲しいです。

作中世界の1385万人(平成31年推計)が
「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語です!」
って言われてこの映画を観たとして
「いや、あんたら、どうしてくれとんねん」
としかならないはずなんですよ。
それを脇に置いて、この世界の私たちが
ただただ「良い映画だったな〜」なんて手放しで言えない。
そういう消化不良感があります。


【好きなシーン】

私の爆泣きシーン第1位は、
あの廃ビルで、さっきまで体裁の整った大人を見せつけていた須賀さんが、
心動かされて大人をやめて警官をバチクソどつくところです。
やっぱりあれ、"大人"の観客にとって一番"良い"シーンだよな。

ありがとうございました。

以上が鑑賞1回目の感想です。
以下、2回目の感想。


【2回観た感想】

とにかく思うのは
2回目観に行って良かった、
2回目の方がずっと解像度高く観ることができて感じることも多かったな、ということです。

まぁ一番頭をよぎった感想は
「なんやこの公務執行妨害映画」ですけど。

そして倍賞千恵子関係者は
今回も見つけきれなかった……悔しい……

2回目はやっぱり全体的に、
「この世界どうなっちゃうんだろう〜な都民目線」から
「世界なんて狂っとるがなガハハ目線」で観ることができて、
落ち着いて味わえました。

須賀さんの「泣いてますよ」のところの
明日花さん・萌花ちゃんを感じさせる細部をじっくり確認できたのも良かった。

クライマックスの須賀さんの
大人になると変えられなくなるとかいう
「大事なものの優先順位」
……自分、家族、帆高の無事、陽菜さんに会いたいという荒唐無稽な帆高の願い、
がメチャクチャ滅茶苦茶になるところの感動が増しました。今回も大号泣してもた。


【『大丈夫』とかいう全否定(全肯定)】

2回目にして、初回にはピンときていなかった
「陽菜はもう晴れ女なんかじゃない、
青空よりも、俺は陽菜がいい」のシーンと
『大丈夫』の歌詞が重なって胸にストンと落ちました。そして号泣しました。

ここからは私の解釈でしかない怪文書を
さも断定のように書きますので
フーンと鼻で笑い飛ばしてください。

陽菜さんは、晴れ女として誰かを喜ばせることに「自分の意味を見つけた」、
そしてその意味を見つけてくれた帆高にありがとう、と言っているわけですが、
「晴れ女なんかじゃない」で
一度帆高は、陽菜さんの「意味」をメチャクチャ全否定しています。

そして「俺は陽菜がいい」、
帆高は、陽菜さんが存在する意味を再構築
=君にとっての「大丈夫」になりたいわけです。

帆高は何故こんな、相手の生きる意味の全否定&再構築を試みたのか?

誰かを幸せにすることを自分の存在意義にした陽菜さんは、
「晴れ」という
皆の幸せであり陽菜の破滅である事象が、自分の存在意義になってしまったために、
いよいよ消える運命になってしまったからです。

自分の生きる意味のために死んでいく陽菜さんを
空から東京へ、彼岸から此岸へ
わざわざ連れ戻しに来た帆高ですが 、

さて彼は「君にとっての大丈夫」になれたかというと、
帆高は陽菜に「自分のために祈って」と囁いて、
陽菜は初めて誰かのためじゃなく、自分のために祈ります。

誰かの幸せに自分の意味を見出すのではなく、
陽菜は陽菜の幸せを祈ることができるようになった。
陽菜の幸せを一番に想う帆高に、
陽菜は自分の意味を預けられる。

そう思った瞬間、客席の私も
「ああ、これこそが『大丈夫』だ………」と
世界の全てを理解しました。

ほんと2回目でこんなに楽しめると思ってなかったというか、こんなに感じ方が変わると思ってなかった。
ありがとうございました。


【蛇足:それはそれとして】

台無しにするようですが、上記はあくまで『天気の子』という作品を
帆高と陽菜二人の世界を描いた「ロマンス映画」として観たときの感想です。

彼らの無責任をどう消化するか、
観客の我々は大人であることをどう生きていくか、
についてはまだもやもやした感覚が残ります。

それに、ラブロマンスにしても
恋愛観というか女性観というか
ちょっとばかし違和感ある映画だなと私は思います。

ラブロマンスの決め台詞としては最高の
「晴れ女じゃない、俺は陽菜がいい」ですが、
言われてみれば
「仕事なんかより俺のために生きろよ」的な
ニュアンスもなくはなくはなくないですか。

ともかく現実の人間関係において
相手の生きる意味を全背負いする行為は
大変危険ですので是非ともおやめください。


【蛇足2:祈りポスターについて】

風邪引かす気か?と思わざるを得ない4D上映。
その"祈りポスター"がめちゃくちゃ綺麗なんですよ。
よく見たら!!!手錠!!!!!
あのポスターのビジュアルはずるいと思います。
ただのコンセプト的なやつかと思いきや、本編の美しさをそのまま持って来とるやないか。
あれ、よくよく見ると感動します。是非。

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