『ウィークエンド WEEKEND』
金曜日から、京都みなみ会館で『ウィークエンド WEEKEND』(監督 アンドリュー・ヘイ)が公開された。
日本語の字幕では直訳になっていない会話があったので、そのことについて書いてみる。
タイトルの通り、金曜日から日曜日までの話。舞台は現代、英国の地方都市。二人の男性同性愛者が偶然のように出会い、短期間のうちに親密圏が立ち現れ、霧散してしまうまでを描いている。
非対称的な笑い
二人が出会って翌日、土曜日。大麻を吸いながら、二人の主人公がソファに座って喋っているシーン。ラッセルは、施設を経て、里親のもとで育った、と打ち明ける。グレンは、そのような境遇を打ち明けられて、吹き出す。俺って本当に嫌なやつ、オリバー・ツイストのことを思い出しちゃったよ、とゲラゲラ笑う。
ラッセルも、それにつられるように笑うのだが、グレン程には笑っていない。
オリバー・ツイストに自分の体験が重ねられてしまうことに、ラッセルは違和感を感じたので、里親のもとで育ったからといっても、ひどい目にあったわけではないということを、ラッセルは、グレンに、伝え直す。
男性同性愛者の物語に、親のいない子どもの物語が、重ねられていくシーンに引かれてしまう。
ぼくには、誰かに伝わることを諦めていることがとても多い。自分の体験が、自分が体験したようには伝わらない。社会の周縁を生きる人はそのよう体験を積み上げているのではないだろうか。
でも、ラッセルは、ちゃんと修正した。
感情を抑制する
とはいえラッセルの口調は、冷静過ぎるようにも思う。
社会の周縁を生きる人は、体験を誰かに伝えたいと思っても、前提をいちいち説明することから開始しなければならない。だからグレンとラッセルの笑いはちょっと違うのだろう。感情を抑制することから来る、小さな傷付き、小さな面倒くささが捉えられているように思った。
イメージの繭
日曜の朝、グレンは、彼の父親に成り代わり、ラッセルのカミングアウトを受けることを申し出る。このセリフもよかった。
わかるかな?そんなことは、気にならないことなんだよ。これまでとまったく同じように愛しているし、それに、わかるかな?ぼくはね、君が月に最初に立つ人間だったとしても、こんなに誇りに思えないと思っているんだよ。
他者の心の傷の前に立つ人は、イメージの繭を紡ぎはじめることができる。そして、小さなイメージの繭の中でなら、傷ついた人は、過去の分岐を生き直すことができるかもしれない、と思わせるセリフだった。
演じることは、常に失敗と隣合わせだ。でも、グレンは、試してみた。
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