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怪談市場 第十六話

『第2倉庫』

A子さんの通っていた小学校には、校舎内に3箇所、倉庫が設けてあった。扉にはそれぞれ、第1倉庫、第2倉庫、第3倉庫のプレートがある。なかでも第2倉庫は校舎の構造上、奥行きが深い設計で、窓がない。一歩足を踏み入れるだけで奥に何かが潜んでいるような錯覚をおぼえ、ドアを閉めればとてつもない閉塞感に襲われる。明かりを消せば完全な闇だ。

そんな雰囲気のせいで、落ち武者の怨霊が現れて刀を振り回すとか、首を括った女性教師が自縛霊となって災いをなすとか、根拠のない噂話が生徒たちの間に飛び交い、ときおり好奇心旺盛な小学生の肝試しポイントとしても利用される。

小学校4年の初夏のこと。午前中から雨が降り出して校庭での遊びが中止になった昼休み、A子さんと3人の友達が第2倉庫で肝試しをすることになった。提案したのは友人グループのリーダ格、K美だった。怖い話が苦手なA子さんは気が向かなかったものの、K美から反感を買うのが肝試しよりも恐ろしく異を唱えることができなかった。一緒に遊んでいた他の2人、M代とS江も似たような心情だったろう。K美は美少女だし成績もいいのでクラスの人気者だが、ひとたび機嫌を損ねると“からかい”や嫌がらせがエスカレートしがちな気難しい女の子だった。現在の教育現場に当てはめれば“イジメ”と判断されかねない問題行動も少なくなかった。

校舎内のあちこちに、雨で遊び場を失い、体育館からもあぶれた子供たちが散らばっておしゃべりやカードゲームに興じている。そんな喧騒も第2倉庫へ一歩足を踏み入れると急激に遠ざかり、ドアを閉じると完全に遮断された。

薄暗く、青白い蛍光灯に照らされた倉庫内は、現実から乖離した別世界だ。

出番の少ない教材だとか、年中行事の小道具や大道具などが、段ボール箱に納められ、あるいはむき出しのまま、雑然と収納もしくは放置されている。空気が冷えているわりに湿度が高い。カビのにおいが鼻につく。

コンクリート打ちっぱなしの床にはマンホールを二回り小さくしたような点検口のフタがあった。

「昔この中に男の子が閉じ込められて、餓死して死んじゃったんだって」

K美が噂話のひとつを披露した。M代とS江が悲鳴をあげてわざとらしく脅える。A子さんは本気で脅え、声をのんだ。そのリアクションが物足りないと感じたか、K美が“試練”を与えた。

「A子、フタを開けて中を確かめてみてよ」

絶対に嫌だ。だが拒否権はないに等しいこともA子さんにはわかりきっていた。断れば、もっと過酷な“追加試練”を賜るのは目に見えている。諦めて、湿ったコンクリートの床に膝をつき、丸いフタの取っ手に指をかける。金属の冷たさが皮膚を弾き、身がすくむ。

「あ、気をつけてね。ゴキブリやゲジゲジがいるかもしれないから」

K美の口から余計なアドバイスが飛ぶ。お化けより、むしろ虫のほうが嫌だ。A子の背後、M代とS江もK美と一緒になってはやし立てる。しばらく躊躇したあと、萎えそうな気持ちを己自身で励まし、腕に力を込めフタを持ち上げた。予想外に軽く、上半身が浮いた。眼下にはポッカリと丸い穴が口を開く。床に蓋を投げ出す音が、予想以上に大きく耳を打つ。

穴の中には――なにもいなかった。ゴキブリやゲジゲジも、もちろん餓死した少年も。50cmほど下に小石まじりの湿った土。床下の地面が闇に浮かぶだけだ。

A子さんが“ホッ”と胸をなで下ろした次の瞬間、背後でドアのしまる音がした。振り返ればK美もM代もS江もいない。

(閉じ込められた!)

A子さんが点検口のフタを開けるべく恐怖と闘っている隙に、3人は示し合わせてこっそりと倉庫を出たのだ。慌ててドアノブに飛び付くが、動かない。ドアに鍵は無いため、3人が外から押さえ付けているのだろう。

「ちょっと、冗談やめてよ。早く開けて」

笑いながら声をかけたが、内心、気が気ではなかった。倉庫内の照明は、外側にスイッチが設置されている。嫌な予感は的中した。ただでさえ頼りない天井の蛍光灯が消えた。誰かが、おそらくはK美が、スイッチを切ったのだ。倉庫内が完璧な闇に支配される。その瞬間、誰もいるはずのない背後から溜め息が聞こえた。

(気のせいだ!)

A子さんは自分に言い聞かせた――床下に吹き込んだ風が響いて、開いた点検口から漏れ聞こえる音だ――無理にでも、そう自分に言い聞かせた。だが否定すればするほど光と影のコントラストにも似て恐怖は濃さを増す。背後に気配を感じる。なにも見えない倉庫の中、自分以外の何かがいる。この世のものではない、この世にいてはならない何かが存在する。自分の恐怖心が創りだした気配だとわかってはいても、忌まわしき存在感は急激に膨張する。

「ねえ、開けてよ、なんでもするから、お願い!」

声を振り絞っての懇願も虚しく、返ってきたのはK美の楽しげな笑い声だけだ。悔しさと恐怖で涙が溢れる。言葉にならない叫びをあげて、 A子さんは手のひらが砕けそうなほどにドアをたたき続けた。何ものかの気配は、すぐ後ろまで迫っている。

A子さんを助けたのは友達でもなければ教師でもなく、昼休みの終わりを告げるチャイムだった。K美たちは魔法が解けたように興味を失い、ドアを離れて教室へ駆け戻っていく。支えを失ったドアが勢いよく開いて、A子さんは廊下へ転がり出た。雨に降りこめられた室内の薄暗い明かりがこのうえなくありがたい。限界まで潜水したあと水面に顔を出したように大きな深呼吸をした。ふと、背後を振り返る。最前まで忌まわしき気配と闇を共有していた倉庫内に、明かりが差しこんでいる。

コンクリートの床に開いた丸い点検口から、痩せこけた見知らぬ少年が這い出してくるところだった。

A子さんは気を失った。

病院へ運ばれて検査をしたがこれといった異常は認められず、A子さんには「貧血」の診断が下った。失神に至った経緯は黙っていた。K美に「告げ口」と受け取られるのが怖かった。それより“幻”を見たことが気恥ずかしかった。倉庫内でK美から、「点検口に閉じ込められて餓死した少年」の話を聴いたうえ、暗闇でパニックに陥ったせいで、あんな幻を見たのだ。

大事をとって、A子さんは翌日、登校を控えた――その間、学校で異変が起きた。

前日の雨はあがって爽やかに晴れた昼休み、5時間目の授業が始まっても教室にK美の姿が見えない。昼休みのあいだ一緒に校庭で遊んでいたM代とS江は、終了のチャイムと同時に例のごとく教室へ駆け戻った。てっきりK美も同様に走っていると思っていたが、教室に着いてみると姿が見えない。事情を聴いて不審に思った担任教師が探しに行くと、間もなくK美が発見された。

彼女は校庭の真ん中で、白目をむいて倒れていた。すでに息絶えている。口いっぱい、喉の奥まで、小石まじりの湿った土がギッシリと詰まり、窒息死していた。

教師たちも、駆け付けた警察や消防も、首を傾げるばかり。

「こんな土、いったいどこから?」

校庭は一面、ラバー舗装されているのだ。

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