見出し画像

怪談市場 第三十九話

『雪の足跡』

清水君(仮名)から、次のような話を聞いた。

それは高校2年の冬、日曜日の午前中だった。前の晩は夜更かしをしたため、いつもより遅く起きた清水君は、居間の炬燵で向かい合う両親を目にして不安を覚えた。なにかよくないことでもあったのか、声をひそめ、妙に深刻な顔で話し込んでいる。

「なんか、あったの?」

清水君が問いかけると、母親が内緒話を耳打ちするように答えた。

「どうやら親戚に不幸があったらしいのよ」

「親戚って、どこの……連絡あったの?」

「これから連絡があるはずだから、いま電話を待っているところだ」

そう言った父親の手には、コードレスホンの子機が握られていた。寝ぼけた頭で事情が把握できずに首を傾げていると、「虫の知らせがあったんだよ」と両親の声が重なった。

遅めの朝食にカップ麺をすすりながら母親の説明を聴くと、次のような事情らしい。

前日は夕暮れから雪が舞い始めた。夜半にはやんで、今朝は雲ひとつない晴天だが、清水君の住む関東平野部には珍しく、3cmほど雪が積もった。

その雪に、足跡がついていた。

発見したのは、まだ暗いうちに起きだした母親。門に備え付けの郵便受けに朝刊を取りに行こうと玄関を開け、問題の足跡を発見した。車道から門を通って庭へ入り、玄関まで歩き、また同じコースをたどって帰っていく。どこから来たのかと追跡してみたが、車道を出たところで足跡は雪もろとも車の轍にかき消されていた。それだけならば、ご近所様が急な用事で訪ねてきたが、まだ就寝中だと知り、諦めて帰ったという可能性もある。だが母親は足跡を、「絶対に生きた人間のものではない」と断言する。

なぜならそれは、裸足の足跡だったからだ。

「きっと親類の誰かが亡くなって、それを知らせに来たのよ。いったい誰かしら?」

「それは心配だねえ」

言葉とは裏腹に、清水君は心配などしていなかった。と、いうのも、その足跡のヌシは清水君自身だったのである。

前の晩、正確にはその日の未明、彼は夜更かしをしてラジオを聴いていた。毎週楽しみにしている深夜放送である。午前3時過ぎ、ふとカーテンを開いて窓を開けた。夕方から降りはじめた雪が、まだ続いているのか気になったのだ。

「スゲエ!」

庭の様子をひと目見て、清水君は思わず感動の溜め息を漏らした。いつの間にか雪はやみ、雲が切れて澄んだ夜空に月が輝いていた。雪が薄く積もった庭を、月光が煌々と照らし、昼のように明るい。窓から覗いているだけでは物足りなくなって、清水君は部屋を出ると玄関へ向かった。サンダルをつっかけてドアを開ける。庇の下だけは積もっていないが、その先は一面の雪景色。誰にも踏み荒らされていない新雪だ。これはもう、自分が足跡第1号になるしかない。積もった雪へ一歩踏み出そうとした清水君の頭に、ふと「裸足で歩いたら楽しそうだぞ」という馬鹿な考えが浮かんだ。夜更かしによる眠気と深夜放送のテンションが、彼の知能指数を程よく下げていた。

清水君は庇の下でサンダルを脱ぎ、その上に靴下を置いて雪に素足を踏み出した。気分が高揚しているせいか、想像していたほど冷たさを感じない。ふわふわサクサクした感触が、妙に心地よい。そのまま庭を進み、門を抜けて県道へ出る。車道にも雪は積もっていたが、こんな晩でも車の通行はあるらしく、タイヤに踏み荒らされてシャーベット状になっている。新雪の柔らかな冷えに比べ、溶けかけた雪は射すように冷たく、足先に痛みさえ覚えて、清水君は玄関へと引き返していた。

要するに謎の足跡は、訪ねてきた親戚の霊が引き返したものではなく、バカ息子が表へ出て戻ってきたためについたものだ。しかし本当のことは言えない。少なからず両親に気をもませてしまった今、真実を口にすれば「高校生にもなって何バカやってんだ!」とお説教をくらうのは目に見えている。

「いつまで食べてないで、あんたも見てきなさいよ。早くしないと雪、融けちゃうから」

面倒なことになったと困惑する清水君を母親が急かす。からくりを知らなければ不思議な現象なのは確かだし、無視するのは不自然だ。清水君はカップ麺のスープを飲み干すと重い腰をあげ、玄関へ向かう。自分がつけた足跡を、さも初めて見たように驚き、首を傾げる小芝居を演じるのが無難である。しかし玄関のドアを開けた清水君は、演技ではなく首を傾げた。

足跡が、ふた組ある。

ひとつはまぎれもない、自分の付けた裸足の足跡だ。だが、それに寄り添うように、もうひとつの、やはり裸足の足跡が、庭を横切って玄関と門とを往復している。清水君は絶対に1往復しかしていない。いや、それ以前に、もうひと組の足跡は完全に別物だ。大きさからして違う。清水君の足よりふた回りほども小さい。どう見ても子供の足跡だ。

凍りついた清水君の横で、母親の沈んだ声がした。

「小さいお子さんがいる親類なのよ。きっと親子で亡くなったんだわ。事故か、火事か……お気の毒に」

だが、いくら両親が待っても、親類の不幸を告げる電話はかかってこなかった。

当時を振り返って、清水君はいまだに首を傾げる。

「あの子供の足跡は、外からやってきて帰って行った足跡なのか? あるいは、僕と一緒に家から出て、また戻ってきた足跡なのか? もし後者なら、その子供はまだ実家にいるのだろうか……」

現在、清水君は実家を離れ、職場に近い都内の賃貸マンションに住んでいる。7年前に結婚して、今年5歳になる息子がいる。実家は電車とバスを乗り継いでも2時間とかからない距離だが、盆と正月に帰省する程度だ。電話連絡も、互いにほとんどない。

だが年に1、2回、用もないのに母親が電話をかけてくる。口にこそ出さないが、息子夫婦と孫の安否が気になるらしい。

そんな電話は決まって冬、関東平野部に雪が降った翌日にかかってくるという。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?