怪談市場 第十七話
『金縛りの恐怖』
「俺が27歳の冬にさ、親父が亡くなったんだけどさ」
ブーちゃん(愛称)は芋焼酎を豪快にあおりながら亡き父の思い出を語る。
「高血圧で高脂血症なのに、『酒タバコやめないと死ぬよ』って医者の忠告ドン無視で、あげくの果てには酔っ払ってサウナ入って、心筋梗塞の発作でポックリ逝っちまった。まあ、生き様も死にっぷりも、豪快っちゃ豪快だーね」
生前は、とても厳しいお父上だったそうだ。
ブーちゃんも学生時代はかなりヤンチャで、愛称の通りブイブイいわせていたが、父親にだけは頭が上がらなかった。
「親父は子供の頃に弟を交通事故で亡くしててね、そのせいか運転には特に厳しかった。自転車のブレーキが甘いといっては殴られ、単車でコケては蹴られ、車を電柱にこすったら投げられた。まあ、それも俺のことを心配してのことなんだろうけど。とにかく指導が厳しいんだ。乱暴なんだ」
父の“シツケ”を振り返ると、ブーちゃんの丸い身体がひと回り縮む。
父上が他界されて半年が過ぎたころ、ブーちゃんは大失態をやらかした。酒気帯び運転で捕まったのだ。高校時代の友達から久しぶりに連絡があり、近所のファミレスで待ち合わせて夕食を食べたところ思わず話が盛り上がり、飲む予定のなかったビールを頼んでしまった。酒気帯び運転の罰則がいまほど厳しくなかった当時のこと。飲んだのはビール1、2杯だし、家はすぐ近所だ。まだ時間は早いし、検問を張るような道でもない。ブーちゃんは出来心でハンドルを握ってしまった。だが、そんな時に限ってお巡りさんは待ち構えている。世の中はそういうふうにできているのだ。
「そんとき俺、一瞬だけど考えちゃったんだよ――親父が生きていたら半殺しにされてたな、と。酒気帯びで捕まったのが、親父が死んだ後でよかったな、と――不謹慎にも、考えちゃったんだ」
その夜、亡くなったお父上が枕元に立たれた。いや、「枕元に立った」と言っては語弊がある。
深夜、ブーちゃんは異様な息苦しさに目を覚ました。しかし体がピクリとも動かない。そして胸に強い圧迫感、まるで誰かが座っているようだ。
(ははあ、コレが俗に言う“金縛り”とかいう現象だな)
内心で自分に言い聞かせ、焦りを沈めようとした。金縛りが「霊現象ではなく、レム睡眠状態における身体反応」ぐらいの知識はあった。少し落ち着くと、なんとか瞼だけは自分の意思で動かせることに気付く。ゆっくり、目を開いた。
「目なんか開かなきゃよかったよ……」ブーちゃんは珍しく弱音を吐いて話を続ける。
仰向けに寝た胸の上に、半年前に他界した父親がまたがっていた。総合格闘技でいうところの、「マウント・ポジション」という体勢である。憤怒の形相で両の拳を構え、我が子を見下ろしていた。
(マズイ、殺られる!)
そんな恐怖心に応えるように、お父上が動いた。左右の拳で交互に、息子の顔面を殴打する。一発一発、渾身の力を込めて。手加減の気配は微塵もない。殴られる衝撃で、瞼の裏に散る火花を見た。
「ごめんなさい、もうしません……ごめんなさい、もうしません……」
ブーちゃんは必死で酒気帯び運転の一件を詫びた。しかし連打は止まらない。17発を数えたところで、ブーちゃんは意識を失った。失神KOである。
翌朝、飛び起きたブーちゃんは洗面所へダッシュして鏡を覗き込む。顔は無傷だった。瞼が腫れてもいなければ痣もなく、唇も切れていない。丸顔は生まれつきだ。
「夢かあ……だよなあ」
恐怖を笑い飛ばした直後、ブーちゃんの笑顔が鏡の中で凍りつく。だらしなく開いた口の中、前歯が1本、根元から欠けていた。昨夜、就寝前には健在だった丈夫な歯である。慌てて部屋に戻り寝床の周囲を探ってみると、あった。枕元から1メートルほど離れた床の上、まるで弾き飛ばされたように自分の歯が転がっている。
ブーちゃんは再び豪快に芋焼酎のグラスをあおって、しみじみと、こう言った。
「いやー、怖いよ。金縛りからのマウント・ポジションはマジ怖いよ。だって敵の攻撃を防御できないんだもんな」
恐怖の焦点にズレがある。しかし、それ以来ブーちゃんは2度と酒気帯び運転はしていないので、ヨシとしよう。
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