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怪談市場 第三十話

『気合!』

「幽霊の撃退なんて簡単。要するに気合っすよ、キアイ!」

ナオヤさん(仮名)はそう豪語する。彼は学生時代、フルコンタクト空手に打ち込んでいて、全国大会に出場したほどの猛者である。さほど巨体ではないが、全身を無駄のない筋肉が装甲のように覆っている。アーノルド・シュワルツェネッガーというよりはジャン=クロード・ヴァン・ダム系で、卒業して干支がひと回りしても当時の体型を保っている。

バリバリの体育会系なのだが、なぜか霊現象との遭遇が多い。しかし恐れてはいない。むしろ舐めきっている。

「死んでもこの世に未練を残して化けで出る連中ってのは、要するに負け犬根性のかたまりなわけで、そんな腰ぬけどもを追っ払うには出合い頭に気合い一発、恫喝してやるのが一番なんですよ」

幽霊の皆様、私が言ったんじゃありませんよ。ナオヤさん(仮名)の発言ですからね。

確かに、金縛りなども最初こそ恐怖でパニック状態に陥るが、長時間におよぶと怖さが薄れてウンザリしてくる。なおも身体硬直が続くとそのしつこさに怒りが湧いてくる。「いい加減にしろ!」と逆ギレした途端に金縛りが解けたとの報告も多い。ナオヤさんは、それを先手でやっているのだ。

金縛りなどは丹田に気を込め、「やんのかゴルァ!」と凄めば解消する。

校舎の洗面所で手を洗っていたら目の前の鏡に、背後に立つ血まみれの男が映ったこともあるが、彼は振り向きもせず裏拳をお見舞いして追いやった。

深夜、合宿所の廊下で、正座したまま滑るように迫りくる老婆と対面したときは、カウンターの前蹴りで葬ってやった。

卒業して建設会社に就職し、営業職への配属となった。

社会人になって3年目の冬、会社の海外研修(といっても半分は観光だが)でフィリピンを訪れた。研修2日目、レイテ島のホテルに宿泊したナオヤさんを、怪奇現象が襲う。深夜、就寝中に金縛りに陥ったのだ。だがうろたえることはない。慣れたものだ。「気合」という無敵の除霊システムも手中にある。頭のてっぺんから爪先まで硬直していたが、かろうじて眼は開いた。ゆっくりと辺りをうかがう。

枕元に、旧日本軍の軍服に身を包んだ半透明の男が立って、寝ているナオヤさんを見下ろしていた。

レイテ島は太平洋戦争の激戦地だった。多くの日本兵がこの地で命を落とし、終戦から70年が過ぎようとしている現在も、本国へ帰ることのできない遺骨が残されている――その程度の一般常識はナオヤさんもわきまえていた。

(気の毒には思う。だが俺のところへ化けて出るのはお門違いだ)

日本兵の幽霊に気付かれないよう、ナオヤさんはゆっくりつ息を吸い込んで止め、一気に吐き出して気合を込めた恫喝を放った。

「痛ぇ目みるぞゴルァ!!」

瞬間、金縛りが解けて体の自由が戻った。飛び起きざま膝蹴りを叩き込もうと身じろぎした瞬間、なんと日本兵の幽霊が気合を返してきた。

「タァーッ!」

ナオヤさんは再び金縛りに陥った。

「なめんじゃねぇーっ!」

再び気合を放って金縛りを解くナオヤさんだが、日本兵の幽霊はすかさず気合を返す。

「トオォォーッ!」

三度の金縛りがナオヤさんを襲う。

「しつこいんだよテメェ!」

「まだまだぁーっ!」

ナオヤさんが気合で金縛りを解き、日本兵の幽霊が気合を返してまた金縛りにする――そんな千本ノックのような金縛りは明け方まで続いた。

「学生時代、黒帯相手に10人組手やって失神したけど、あれよりきつかったな」

そうナオヤさんはレイテ島の一夜を振り返る。それでも翌日はスケジュール通り研修と観光をこなしたのだから、やはり武術の経験者は心身が強靭なのだ。レイテ島に散った英霊も、たくましい日本男児が訪れたのが嬉しく、張り切っちゃったのかもしれない。

以来、ナオヤさんは心霊現象に遭遇しても頭ごなしの恫喝ではなく、敬意を込めた「押忍!」の気合で幽霊の方々に退いていただいている。

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