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怪談市場 第十五話

『夜の利根川』

家の近くに利根川が流れている。車で20分ほどの距離だ。

夏場はよく、夕涼みがてら夜釣りに出掛ける。海から遡上してくるスズキを狙い、2時間ほどルアーを投げるのだ。河口から数十キロ離れた中流域なので簡単には釣れない。正直言って、釣れない夜のほうがはるかに多い。だが稀に80cmを超える大物がヒットする。そんな幸運に一度でも恵まれた者は病みつきとなり、夜の川通いが日課となる。

夜の、特に深夜の河川敷をさまようと、日常生活ではめったに目撃できない生物たちの営みに触れることもある。

足元をタヌキの親子が駆け抜けて行ったり、蛍の乱舞に遭遇したり、翼竜のごとき巨大なアオサギが頭上をかすめて飛んだり……友人は関東平野のど真ん中で鹿に遭遇した。

自然現象ばかりではなく、超自然現象の報告例も多い。

民族学の分野では、「怪異は橋、辻、トンネル、海岸線など、境界線上に多く発生する」との説が有力とされる。ちなみに魚が好む場所は流れのぶつかり、水深の急変部、明暗のきわなど、やはり境界線が多い。つまり、お化けの出現場所と魚釣りの好ポイントは、しばしば重複するのだ。

先日もI君(鹿と遭遇した彼だ)から、こんな話を聴いた。

その日、I君は雨の中、合羽を着て釣りをしていた。

釣り人は雨などものともしない。むしろ適度な雨は魚の活性をあげるので、喜び勇んで出かける。大雨で川が増水すると、ワクワクして見に行かずにはいられない。ほんと、バカですね。

さて雨の夜に釣りをしていたI君の話だった。合羽を着ているとフードに遮られ、視界が狭くなる。その左方向、合羽のフードと視界の境目、ギリギリのところに、女の人が立っているように見えた。夜の河川敷、女性などいるはずもない。首を巡らせて確認したが、案の定、誰もいない。安堵して釣りを再開する。と、また視界とフードの境目に女が立つ。確認すると、誰もいない。

「そんなことを何度繰り返したことか……釣りをしていた2時間、スゲー気味が悪かったよ」後にI君はそう言いました。だったら釣りをやめてすぐに帰ればいいのにと、私は思いました。

話には続きがあります。雨があがった翌日、I君が釣りをしていたポイントから少し下流で水死体があがりました。若い女性です。2日前から行方不明で、上流の橋に彼女の自転車が放置されていたと聞きました。きっとそこから飛び込んだのでしょうね。

と、このあたりで終わらせるのが正しい怪談なのでしょうけれど、もう一歩踏み込んでみます。

あれは数年前の夏、深夜日付が変わる頃、私はある橋の下のポイントでルアーを投げていました。欄干に設置された常夜灯の明かりが届き、橋の周囲はほのかに明るいのですが、少し離れれば川も河川敷も濃い闇です。むしろ中途半端に光源があるせいで見通しは悪い。

私の立ち位置から30mほど上流、闇に支配された水面で突如、派手な水音が起こりました。魚が跳ねたとか、そんなレベルではありません。大人が飛びこんで暴れ回っているような激しい水音。それに混じり、「ングエエェェーッ、ングエエェェーッ!」という大型水鳥の断末魔。そして再び静寂。その間、5秒ほど。

「何だかわからないが、こっち来ないでくれよ……絶対に来ないでくれよ!」

そう祈りながら私は釣りを続けました。結局、何も来ないし、何事もおきませんでしたが。

いまから思えば、祈ってないですぐ逃げればいいんですよね……ほんと、バカですね。

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