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怪談市場 第十八話

『夜桜』

A君とI君とH君は同じ大学の遊び仲間だ。

短い春休みが終わって、里帰りしていたA君とI君は、大学近郊に実家のあるH君と約1週間ぶりで顔を合わせた。どうにか留年を免れた3人は、この4月から3年生。

「あー、花見してーなー!」

花があらかた落ち、若葉に覆われた頭上の桜を見上げ、I君がわめいた。

キャンパスには随所に桜の木があり、満開を迎えるとそれは素晴らしい景色が広がるものの、残念ながら学生はそれを目にすることはない。花盛りは春休み中に過ぎ去ってしまうからだ。

「そう考えると余計に桜が見たくなるな」

A君もI君に同意する。二人とも帰省中は実家に籠り、漫画とゲーム三昧で怠惰に日々を打っちゃるのみで、戸外に咲き誇る桜には見向きもしなかったくせに、勝手なものである。

「T山に登れば多少標高が高いから、まだ花が残ってるかもしれない」

地元のH君がそう提案した。

T山は標高1000メートルにも満たない低山だが、平野のど真ん中で孤高にそびえる姿は妙に存在感があり、地元の人々から観光に登山にと親しまれている。3人が通う大学からは車を飛ばして1時間ほどの距離だ。

さっそく今夜、夜桜見物に出かけることになった。とはいえ、3人のうちで唯一車を所持するH君は居酒屋のバイトが入っているので出発はその後。すでに日付けは変わっていた。

平日の深夜だけに、つづら折りの山道は走り屋の姿もなく、H君は快適に車を飛ばす。いつも通りI君は助手席にふんぞり返って、A君は後部座席に寝そべる。

目指したのは中腹に設けられた展望台。到着した駐車場には1台の車も停められていない。売店は当然のごとく閉まっており、数台の自動販売機が部分的にアスファルトを照らしている。他に明かりといえば、H君の運転する車のヘッドライトだけ。周囲は完全な闇だ。

「貸し切りぃー!」などと喚きながら無意味に駐車場を旋回する。

やがて崖に臨む駐車スペースに車を停め、ライトをハイビームに切り替えると――闇に桜の花が浮かび上がった。

「おおーっ!」

3人が声をそろえて感動する。

駐車場を囲うガードレールの向こう、崖のふちに並んで咲き誇る桜の木々がライトに照らされる。花盛りを少し過ぎて若葉がちらほら覗き始めているが、緑とのコントラストが作用して、むしろ満開よりも目に鮮やかである。冷えた闇の中、音もなく生命力を放つ植物群は、美しくもあり、どこか恐ろしくもあった。

「スゲーな、予想してたより3倍は咲いてる」

「桜の樹の下には死体が埋まっているんだよ」

「オマエは梶井基次郎か……」

I君とA君とH君は車を降り、ライトアップされた夜桜を眺める。花見だからといって、酒肴の用意をするような気の利いた連中ではない。棒立ちのまま手ぶらで眺めるだけである。やがて言いだしっぺのI君が真っ先に飽きた。

「やたらと冷えるな……自販機のコーヒーでも飲もうぜ」

平地では散った花がまだ咲いている山の、しかも夜である。寒くて当たり前だが、誰も防寒着を用意していない。本当に計画性のない連中である。3人は車のライトを消し、エンジンを切って自動販売機の前に移動した。「あったか~い」缶コーヒーを啜って人心地ついたが、深夜の山中のこと、他にやることもない。誰からともなく「そろそろ帰るか」という話になった。

A君とH君は飲み干したコーヒーの缶をゴミ箱へ放ったが、I君は駐車場へ進んで空き缶を立てると、助走をつけてラグビーのフリーキックよろしく力任せに蹴った。

カーン……コン、コン、コロコロコロ……。

音を残し、空き缶が闇に消える。

「おまえは子供か!」

「ポイ捨てすんな!」

「冗談だよ。拾ってくるって」

A君とH君の非難を受け、I君が空き缶の転がる音を追って踏み出した瞬間……。

カーン……コン、コン、コロコロコロ……。

闇の向こうで誰かが空き缶を蹴った。I君が反射的に振り返る。A君もH君も、ちゃんといる。では誰が蹴ったのか? 彼らが到着したさい、他に車はなかったし、その後も来ていない。車やバイクが来ればライトと音で分かる。この時間、自転車や徒歩で来られるような場所ではない。3人の他は、誰もいるはずがない。確認をためらってI君が立ちすくんでいると……。

カーン……コン、コン、コロコロコロ……。

いるはずのない誰かの、空き缶を蹴る音が再び闇に響いた。

「なんかヤバイ……逃げよう」

嫌な予感が急速に伝染し、3人は車に駆け戻り、飛び乗った。エンジンをかけ、急発進し、最短距離で駐車場を出る。

帰路は下り坂だ。右手がコンクリートの法面。左手は転落防止のガードレール。先ほどの怪現象におびえてか、I君は黙り込んでハンドルを握りしめる。いつもより少しスピードが出ていると、助手席のI君は気にしていた。やがて、何度目かのヘアピン。

I君の目が、視界の隅に動く物を捕らえた。

法面の上から覆いかぶさる木々の枝葉。その間から放物線を描き、車の前に落ちてくる。一瞬ライトに照らされたそれは、見間違えるはずもない、コーヒーの空き缶である。咄嗟にI君は助手席で身を縮める。突如進路に出現した空き缶に反応し、H君が僅かでもブレーキを踏めば、あるいはハンドル操作を誤れば、法面に激突するか、ガードレールを破って転落か……。

I君の不安をよそに、H君は安定したコーナーリングでヘアピンをクリアした。

その後は何事もなく、無事に山道を下り、ふもとのコンビニへ逃げ込んで一息ついた。

「さっきは危なかったな。それにしてもH、よく冷静にヘアピンを曲がり切ったよ」

I君が運転をねぎらっても、H君は首を傾げるばかり。帰り道のヘアピンで進路に落ちてきたコーヒーの空き缶にも心当たりがないという。

「そんなもんが飛びだしてきたら絶対、反射的にハンドル切るかブレーキ踏んじゃうって!」

そうH君は力説する。それにしても後部座席で寝そべっていたA君が見えなかったのは当然として、助手席のI君には見えて運転席のH君には見えないのは不自然だ。コンビニの駐車場で車から降り、謎の空き缶が現れた方向や距離を再現、検証した結果、「フロントピラーの死角となって運転席からは見えなかった」という結論に落ち着いた。フロントピラーが死角となって起こる交通事故は少なくないが、今回は死角になったおかげで事故を免れたのだった。めでたしめでたし。

だが、まだ話は終わらない。翌日の午後。いつものようにI君は、昼過ぎに学食でA君、H君と合流した。先に来ていた2人は、天井吊り下げ型のステーで設置されたテレビの画面に釘づけだった。普段は無駄話に花を咲かせているのに、こんなことは珍しい。どうしたのかと問いかけても、無言で画面を指差すばかり。

「また、どっかのバカ国家が戦争でも始めたか?」

I君が画面に目を向けると、見覚えのある風景が映し出されていた――駐車場らしき広場、売店と数台の自動販売機、若葉が見え隠れしながらも咲き誇る桜の花――昼と夜の明るさ暗さは違えど、昨夜(正確には未明)、3人が花見に訪れたT山中腹の展望台に違いない。崖に面した駐車スペースの一画に、ブルーシートが張られている。映像に、現地レポーターの声がかぶる。

「えー、繰り返します。本日午前10時ごろ、T山中腹の展望台下斜面で、白骨化した死体の一部が発見されました。歯型の照合により、遺体は2年前に捜索願が出された女性会社員と判明し……」

桜の樹の下には、本当に死体が埋まっていた。歯型から身元が判明したということは、少なくとも頭部は発見されたのだろう。昨夜、闇の向こうで空き缶を蹴ったのは、白骨死体で見つかった女性だったのかもしれない。

この事件の続報は現在に至るまで耳にしていない。いまでもT山の展望台では深夜、女性の未発見部分が、寂しく空き缶を蹴っているのだろうか。

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