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怪談市場 第十三話

『深夜ラジオ』

K君は会社をリストラされて以来、深刻化する抑うつ状態に苦しんでいた。

この不景気にくわえ、リストラされた事情が事情なだけに、なかなか再就職先は見つからない。さらに気分は落ち込んで積極性が激減。そんな状態ではせっかくこぎつけた面接も落ちる――負のスパイラルにはまった。すべてが徒労に思え、やがて求職意欲も途絶えて、6畳1DKの賃貸アパートへの引き籠りに入る。抑うつ状態の自覚症状はありながらも医者に頼る気力すらない。

K君は自嘲気味に当時を振り返る。

「“うつ”で自殺する人っているだろ。だから俺、うつ病は死にたくなる病気だって考えてたけど、とんだ思い違いだったよ。確かに漠然と“死にたい”って気持ちはある。でも、それだけじゃ人間なかなか死ねないんだ。発作的に意識が、“いますぐ死ななければならない”という強迫観念に支配されるんだ」

深夜、そのおぞましい強迫観念に追い立てられ、K君は行動を起こした。ガラクタ置き場と化した申し訳程度の収納をかき回し、耐久性のある紐状のものを探す。

「不思議なもので、そのときは首を吊ることが、非常に尊い行為に思えてならなかった」

やがてK君の手がアダプターのついた電源コードを探り当てる。力任せに引きずり出してみると、コードには古いポータブルラジオが繋がっていた。SONYのスカイセンサー。70年代、短波を受信して海外放送を楽しむBCLブームが起こった。そのニーズに応じ、各メーカーから様々な高性能ラジオがリリースされたという。もちろん、K君がBCLを体験したのではない。生まれてさえいない。もとは父親の持ち物だったラジオを、K君が高校生のときに譲り受けたものだ。黒を基調としたデザイン、戦闘機のコクピットを思わせるスイッチや計器類がお気に入りで、毎晩のように深夜放送を聴いていた。その父親も一昨年他界し、いまとなっては形見のラジオだ。

あまりにも懐かしい。社会人になって約10年、自由な時間はネットとテレビに費やし、ラジオなど存在すら忘れていた。電源コードを首に巻くのは後回しにして、K君はアダプターをコンセントに差し込んだ。後は条件反射で指が勝手に動く。電源を入れてチューニングすると、懐かしい声がスピーカーから溢れた。

「えっ、この番組まだやってたの?」

思わず声が漏れる。骨董品のラジオが奏でるのは、K君が高校生のころ夢中になって聴いていた深夜放送だ。月曜から土曜日の深夜帯を1部2部に分けた12番組の中でも、そのパーソナリティーの放送が一番のお気に入りだった。無駄話と紙一重の話術が冴えるフリートークの後は、耳になじんだサウンドステッカーとCMをはさんでコーナー。リスナーからのネタ葉書が次々と読まれる。驚いたことに昔の葉書職人たちが現役で活躍していた。懐かしがったり大笑いしたりで時間は瞬く間に過ぎ、エンディングテーマが流れる頃には窓の外が明るくなっていた。

死への強迫観念も首吊りの誘惑も、すでに薄らいでいた。K君はその日のうちに精神科を受診し、晴れて「うつ病」の診断を頂戴した。抗鬱薬を処方されて経過を診ることとなったが、その後も1度、例の“死の強迫観念”に襲われた。なんとかしのぐことができた。強迫観念は一過性のものだと学習したし、なにより懐かしの深夜放送を来週も聴きたい。その思いがK君の折れて久しい心を支えた。

待ちに待った1週間後の深夜、K君はスカイセンサーの電源を入れる。

だが聞こえてくるのは近ごろ人気のお笑いコンビの声ばかり。どれほど慎重にチューニングダイヤルを操作しても、お気に入りの、そして懐かしい、あのパーソナリティーの声は2度と流れることがなかった。わけが分からず、K君は数週間ぶりにパソコンを立ち上げ、例の深夜放送について調べたところ、放送は10年以上前に終了していた。往年のDJが「1夜限定で復活する!」的なイベントの記録もない。

死の強迫観念に追い立てられた夜、K君を首吊りの誘惑から救った深夜放送の謎は、解明できなかった。

その後、遅々としてではあるがK君の抑うつ症状は改善して、現在は通院しながらもアルバイトを見つけ、心と生活の立て直しに専念している。

「むかし好きだった深夜放送が幽霊となって助けてくれたのだろうか、それとも亡くなった父上が形見のラジオを通して救いの手を差し伸べたのかな?」

私の野暮な解釈を、K君は首を振って一蹴した。

「いいや、あれは付喪神(ツクモガミ)だと思うんだよ」

「付喪神って“器物百年を経て神となる”とかいう民間信仰か?」

「そう。長年使用した道具には精霊や神が宿り、和ぎれば幸を、荒ぶれば災いをもたらす。古い絵巻物にも、物の怪と化した鍋や草履、傘などが描かれている。ま、妖怪の一種と考えていいだろう」

「でもさ、スカイセンサーは発売からまだ40年だろ。100 年には遠く及ばないよ」

「そこはさ、ムーアの法則だよ」

ムーアの法則とは、半導体メーカーIntelの創始者、ゴードン・ムーアが提唱した「半導体の集積密度(性能向上)は18カ月から24カ月で倍増する」という法則だ。早い話、ハイテク機器の性能は指数関数的にペースがあがるわけだ。大発見を打ち明けるように、K君は声をひそめながら説明する。

「仮にだよ、ハイテク機器の性能向上ペースが光の速度のように一定だとしたら?」

「現実問題として性能向上のペースは上がってるんだから、あとはハイテク機器の時間の流れが速まってると考えないと意味が合わないな」

「そう。つまり器物はハイテク化すればするほど内在する時間の流れが相対的に速くなる。鍋や草履なら、神が宿るまでに人間の時間で100年でも、トランジスタラジオぐらいハイテク化すれば40年ぐらいで神が宿ってもいいんじゃないか?」

「いいんじゃないかと問われても困る。まるで技術革新のウラシマ効果だ。だとすればハイテクの最先端、スマートフォンなんて、機種変更しないまま5年も使っていたら神が宿るんじゃないのか?」

「ああ、もう宿ってるよ」不意にK君の声が沈んだ。「しかも和ぎる神ではなく、荒ぶる神となって、社会に災いを振りまいている」

その言葉には説得力があった。彼が前の会社をリストラされたのは、ツイッターの不用意な書き込みが原因である。

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