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怪談市場 第二十九話
『サボテンの花』
叔母が亡くなって四十九日の朝、庭でサボテンの花が咲いた。
もう10年以上前に、叔母の家から株分けしてきたボテンだった。
法要が行われる叔母の家へ赴くと、庭先で親株のサボテンもまた、花を咲かせて出迎えてくれた。
僧侶の到着を待ちながら、集まった親類たちが長座卓を囲んでお茶を飲む。菓子鉢を見れば、煎餅や一口羊羹に交ざって柿の種の小袋が目にとまる。亡くなった叔母の好物だった。いや、正確には柿の種に混入されたピーナッツが好きだったのだ。
小袋を開け、ピーナッツを別けてつまみだすと、柿の種だけを「これ辛いからいらない」と、叔母は一緒にお茶を飲んでいる誰かに押し付ける。ならばバターピーナッツの小袋を買ってくればよさそうなものだが、「なんか違うんだよ。柿の種に入ってるピーナッツじゃないと美味しくないんだよ」と、わけのわからない話をする。
叔母がまだ元気だったころ、私もよくピーナッツを抜いた柿の種を押し付けられたものだ。ふと懐かしくなって、柿の種の小袋を手に取った。と、一緒に茶を飲んでいた親類の一人が思い出したように口を開いた。
「そうそう、何年か前にこの家から株分けして行ったサボテン、今朝うちで花が咲いたのよ」
株分けしたサボテンが咲いたのは、我が家だけではなかったらしい。
「きっと叔母さん、自分の四十九日を忘れてほしくなくて、いっしょうけんめい咲かせてくれたんだよねえ」
言いながら親類は自分の言葉に何度もうなずく。
そう思いたくなる気持ちはわかる。だが冷静に考えれば、株分けしたのだからそれぞれのサボテンは遺伝子が一致する。要するにクローンだ。ならば、開花日が一致したとしても不思議ではない。それが叔母の四十九日だったのは単なる偶然だろう――そう説明しようとして、開きかけた口を閉ざした。
手元の異変に気付いたのだ。
お茶うけにつまもうと開いた柿の種の小袋。その中に、ピーナッツが見当たらない。まるで何者かに抜き取られたかのように、一粒たりとも。
(手に取ったときは袋を通してピーナッツを確認したはず……いや、それは私の勘違いで、もともとピーナッツは入っていなかったのか……そういう商品も存在したはずだ)
そう思って菓子鉢を確認する。他の柿の種の小袋は、手に取るまでもなく中身のピーナッツが透けて見える。やはりピーナッツは、袋から目を離したずかな間に消え去ったとしか思えない。
「余計な理屈をこねるもんじゃないよ」
そんな叔母のたしなめる声を聞いた気がした。
たしかに、せっかく親類どうし故人を偲んでいるのに、雰囲気をぶち壊すのも大人げない。
まもなく僧侶が到着して、四十九日の法要がしめやかに始まった。
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