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怪談市場 第二十四話

『リュック』

ケイイチさんの娘、ハルカちゃんが4歳前後だった頃の話し。

「あー、やまのぼりぃ!」

一緒に街を歩いていると、ときおりハルカちゃんが、人混みを指差して声をあげることがあった。毎回ではないが、5回ほど一緒にお出かけすると、1度はそういった反応を目の当たりにする。

「やまのぼり」

そう口走る娘の指先と視線を追うと、決まって猫背ぎみの人物が歩いていることに、最近になってケイイチさんは気付いた。

「山登り」といえば――ケイイチさんは学生時代、山岳部に所属していた。毎月のように仲間たちとパーティーを組み、関東近辺の連山縦走に挑戦したものだ。

やがて卒業。就職し、結婚してからは、さすがに本格的な登山から遠のいた。だが暇を見つけては、日帰りの山歩きを楽しんでいる。

学生時代に愛用していた大型のアタックザックは実家に預けっぱなしだが、近ごろ軽登山で使用する25リットルのリュックは、いつ出番が来てもいいようにマンションのクローゼットで待機中だ。ただ、そのリュックを見るたびに、娘のハルカが「どうしてパパのリュックには、お顔がついてないんだろ?」と首を傾げる仕草が、気にはなっていた。

そんな矢先、ケイイチさんは奥さんから奇妙な動画を見せられた。

昼間、一緒にデパートへ買い物に行ったさい、ハルカちゃんが母親のスマートフォンで勝手に撮影した動画だそうだ。

駅前広場の雑踏が映っている。行き交う人々の映像、その中で、ケイイチさんは1人の人物に目が釘付けとなった。

(登山かな?)

そう思った直後、再生中の動画から「やまのぼりー」と聴き慣れた声。撮影中のハルカちゃんが発したものだ。スマートフォンの画面の中、確かにリュックを背負った若い男が、猫背ぎみに上半身を前方に傾け、歩いてくる。幅のあるショルダーハーネスに、ウエストベルトもついた登山用のリュックサックである。なのに、服装はスーツ姿。ネクタイもきっちり締めて、仕事中のビジネスマンにしか見えない。男が徐々に歩み寄る。姿形が、さらに明確になった。

(いや、リュックじゃない……人だ!)

スーツ姿の若い男が背負っていたのは、登山用のリュックなどではなく、まぎれもなく人間だった。小柄で痩せており、子供か老人かは判断がつかない。黒い髪が中途半端に伸び、男か女かも分からない。ショルダーハーネスに見えたのは、若い男を羽交い絞めするように両脇からしがみついた腕である。ウエストベルトと見誤ったのは、腰にからみつく痩せた両脚である。

けっして離すまいと締め付ける手足の必死さに比べ、首は力なく折れてグラグラと揺れる。そのたびに乱れた髪の間から、うつろな顔がのぞいた。

「あっ、ハルカちゃん、また悪戯して……」

奥さんの声とともに画面が乱れ、動画は終了した。ケイイチさんは、もう1度確認しようとしたが、奥さんがひどく気味悪がって、その場でデータを削除した。

「やまのぼり」

外出先でそう声をあげるとき、娘の瞳にはこんなモノが映っていたのだろうか――気にはなったが、そのときは確認する勇気がなかった。

やがてハルカちゃんに物心がつき、小学校に入学するころには、いつしか外出先で“やまのぼり”の人を見つけることもなくなった。

「ねえハルカ、このごろはリュックを背負った“やまのぼり”の人はいないのかな?」

ある日ケイイチさんは、うっかりと口を滑らせた。動画の一件からは時間が経過し、娘の奇妙な言動も治まったことで不安が薄れていたのだ。だが、ハルカちゃんは目に見えて不機嫌になり、父親の問いかけを無視した。

「あれって、リュックだった? 本当は人じゃなかった?」

なおも追求すると火が点いたように泣き出し、その後は3日ほど口をきいてくれなかった。以来、家庭内で“やまのぼり”の人に関する話題はタブーとなった。

いまでもケイイチさんは、街中に猫背で歩く人を見るたび、肉眼では見えない顔のついた“リュックのようなモノ”を背負っているのではないかと想像し、不安になるという。

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