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怪談市場 第二十六話

『碁石ひろい』

美咲さん(仮名)が小学校3年生の夏休みに体験した話。

自由な夏休みとはいえ、現在ほど娯楽が多様化されていなかった当時、子供たちの1日はわりと単調だった。

起床して顔を洗うと近所の公園に出向いてラジオ体操。帰宅して朝食をとり、その後は夏休みの宿題を進めながら、合間に漫画を読んだり再放送のアニメを見たり。昼食を済ませたら食休みもそこそこに家を出る。学校のプール開放へ向かうのだ。当時、美咲さんが通っていた小学校では平日、ほぼ毎日のように学校のプールが解放されていた。美咲さんはけっして活発なほうではなく、むしろ体育は苦手なおとなしい女の子だったが、それでも毎日「プール登校」してよく日に焼け、健康的な夏を過ごしていた。

照り返しのきついプールサイドで準備運動を済ませ、休憩をはさみながら自由遊泳を30分ほど楽しむと、恒例のゲームが始まる。

碁石ひろいだ。

監視員を兼ねたプール当番の教師が、白と黒の碁石をひとつずつ、プールに投げ込む。着水するや、プールの縁に控えていた子供たちが一斉に泳ぎより、我先にと碁石を探す。いち早く発見した子供は「取ったー!」とか「やりぃー」などと叫んで碁石をつかんだ拳を突き上げ、水面へ飛び出す。

泳ぎも遅く、水中で目を開けるのが苦手だった美咲さんは、まだ一度も碁石を拾えたことがなかった。その日、今度こそは意気込んだ何度目かの碁石ひろい。教師が投げた碁石の着水点を確認して泳ぎ出した。一番得意な平泳ぎでも下級生に後れをとる。目を閉じている時間のほうがはるかに長いため、碁石の存在はおろか自分が進む方向の確認さえままならない。焦るあまり一瞬だけ開いた目が、偶然、水底に漂う白い物体をとらえた。

(白の碁石だ! ラッキー)

再び目を閉じ、勘と手探りで目的の物体をつかみ、水面へ浮上する。

「取れた、やっと取れた!」

得意気に頭上へ掲げようとした利き腕が、中途半端な高さで止まった。美咲さんの他に2人の男子が、同じように碁石をつかんでいるであろう拳を頭上に振り上げている。投げた碁石は白と黒のふたつ。だが碁石を拾ったとアピールする子供は美咲さんを含めて3人。数が合わない。

美咲さんは首を傾げながら、握った拳を目の前で開いた。手のひらに乗っていたのは、碁石ではない。大きさは碁石と変わらないが、形が扁平ではなく球体だ。色も純白ではなく、中央部分に艶やかな黒の円が浮いている。形も色も大きさも、見覚えがある。保健室にある人体模型で見慣れた、頭部を構成するパーツ。

(眼だ!)

あきらかに、それは眼球だった。その瞳がじっと、美咲さんを覗き込んでいる。目が合った。思わず悲鳴をあげて、美咲さんは問題の眼球を放り棄てると、大急ぎでプールサイドへ這いあがる。

「プールの底に、目玉が沈んでた!」

そう叫ぶと、大半の子供たちは気味悪がってプールから上がった。義眼をしている生徒はいないし、もちろん生身の眼球を落とした者もいない。2人の教師と、ありもしない勇気を誇示したがる男子上級生が飛び込んで水底を探ったが、それらしい物体は発見できなかった。

結局、「融けかかったかけた塩素のタブレットを見間違えたのだろう」と教師が仮説を立て、騒ぎは収束した。探しても何も見つからなかったのは、美咲さんがつかんだり放りだしたりした衝撃で塩素がすべて融けてしまったとの解釈である。

(あれは目玉だった。絶対に見間違いなんかじゃない)

美咲さんはいまでもそう思っている。手のひらを通して伝わる重量と弾力。白目の部分に走る毛細血管。艶やかな瞳は美咲さんの視線を受けてわずかだが瞳孔が収縮した。

だがそのときは反論せず、教師の「融けた塩素タブレット説」を受け入れた。そうでもしないことには恐ろしくてその場にいられなかったのだ。自分の五感が否定されても、それで安心が買えるなら安いものである。

それでもその夏、美咲さんは二度とプールに入る気になれなかった。

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