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怪談市場 第二十五話

『ココロノヤミ』

昭和の時代からJ中学校に伝わる伝説がある。

ときおり、焼却炉のかたわらで泣いている少女が目撃される。彼女は生身の人間ではない。渡す勇気がないまま、あるいは受け取ってもらえずに、焼却炉に投げ込まれた幾多の恋文の化身だ。灰と化した文の無念が少女の姿となり、恋に破れた乙女たちの悲しみを肩代わりして泣き続けるのだ。そんな少女を、生徒たちは「恋文様」と呼ぶ。

その恋文様を、呪いに利用しようと考えた女生徒がいた。2年3組の狭山美登里(仮名)である。

そのころの美登里は、罪にならなければ自分の手で殺してやりたいほどに、同じクラスの美浦紗希(仮名)を憎んでいた。特に、なにかされたわけではない。ただ存在そのものが許せない。具体的には、やたらと男子からちやほやされるのが我慢ならない。見た目が少しばかり可愛らしいのは事実だから仕方がない。それを計算しての策略であれば、まだ侮蔑の余地がある。だが残念なことに、天然である。生まれ持った素質である。そこでまた腹が立つ。さらに近頃、美登里が秘かに想いを寄せている、とある男子が紗希に気があると根拠のない噂話を聞きつけたものだから、もう駄目だ。紗希が何をしても気に食わない。何もしなくても許せない。

紗希への恨みつらみを、夜を徹して綴った手紙を手に、美登里は小雨のぱらつく放課後、ひと気の絶えた焼却炉を訪れた。

「恋文様、恋文様。あなたが、報われない恋文の化身なら、私の気持ちが分かるはずです。報われない人間を踏み台にして、愛情を独り占めする女を妬み、憎む気持ちを理解できるはずです。どうか憎き紗希を、不幸のどん底に叩き込んでください。お願いします」

憎悪を濃縮した手紙を残り火にくべると、ほんの少し溜飲が下がった。それでも胸を炙り続ける憎しみの炎には焼け石に水だ。

雨脚が強まってきた。どうせ小雨だろうと高をくくって傘は昇降口に置いたままだ。舌打ちして焼却炉に背を向け、駈け出す。通路のかたわら、花壇に咲き誇るコスモスの色彩がうるさい。何もかもが癇に障る。

不意に、全身を浮遊感が包み込んだ。平衡感覚が揺らいで視界が傾く。貧血で倒れる前兆だ。神経が逆立って胃の調子も悪く、ここ数日ろくに食事もとっていない。急に走ったのは無謀だった。視界いっぱいにコスモスの花が迫って、美登里の意識は途絶える。

そして夢をみた。

倒れた自分の髪を、誰かが撫でている。目を開くと、小柄で華奢な制服姿の少女が覗き込んでいた。憐れむように優しく髪を撫でながら泣いている。声もなく、静かに涙を流している。

(あなたが、恋文様?)

直観的に、そう考えた。と、恋文様の白い頬を伝った涙がひと粒、美登里の唇に落ちる。その瞬間、爽やかなハッカの香りが全身を駆け抜け、再び意識を失った。

次に目を開いたとき、半泣きの女子が覗き込んでいた。といっても、恋文様とは明らかに別人だ。

(なんか、汚い……)

髪はぐちゃぐちゃ、顔には泥が付着し、制服はずぶ濡れだ。彼女には見覚えがある。いや、あるどころではない。同じクラスの美浦紗希だ。ついさっき恋文様に呪詛を託した憎悪の対象だ。

「先生、狭山さんの意識が戻りました!」

紗希が声を張り上げると、背後から白衣の中年女性が顔を出した。養護教諭である。

「大袈裟ね美浦さん。ICUでもあるまいに。普通に目が覚めただけよ」

どうやら、保健室のベッドに寝かされているようだ。体を起こすと、いつの間にか制服からジャージに着替えている。首を傾げる美登里に養護教諭が事情を説明した。

「雨の中、花壇で倒れていたあなたを彼女が見つけてね、自分の傘を放り出して一人で保健室まで引きずってきたの。単なる疲労だから心配ないって言っているのに、着替えさせたり付きっきりで看病したり。自分だってずぶ濡れのくせに」

紗希が照れ笑いしながら、大きなくしゃみをした。

(この子にはかなわない……)

なぜか素直にそう思えた――紗希は男子にちやほやされるだけではない。女子にも、そして大人にも子供にも、みんなに好かれているのだ――そう認めることができた。夢で感じた恋文様の涙のように、爽やかな敗北感を受け入れた。それと入れ替わるようにして、あれほど胸に溜め込んだ憎悪も不思議に消えていた。

すっかり日が暮れて、雨はあがっていた。美登里と紗希は、一緒に学校を後にした。

「あ、ゴメン。私、忘れ物しちゃった。ちょっと待っててくれる?」

校門を出たところで、美登里は駆け戻った。向かったのは焼却炉だ。闇にうずくまる煉瓦造りの炉はすでに火を落としているが、微かに煙の匂いを放って存在を主張していた。

「恋文様、恋文様。先ほどの呪いは撤回します。他人を妬む愚かさを教えていただき、ありがとうございました」

一礼して美登里は、新しい友達が待つ校門へと走っていった。

渡されることなく燃やされた恋文の化身――恋文様。彼女は今日も、恋に破れた乙女の悲しみを肩代わりして泣き続ける。その涙は時として、生徒たちの心に巣食った闇を照らしだし、払拭する。

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