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怪談市場 第三十八話

『婆さんが飛んだ日』

柴田君(仮名)が中学時代に、いまは亡き祖父の正夫さん(仮名)から聴いた話である。

当時、柴田少年はバレーボール部に所属し、日々練習に励んでいた。学校ではもちろん、家でも独りでできる練習があり、自分用のボールを持っていた。使用しないときや長い距離を持ち運ぶときは空気を抜いておく。ある日、なにかの拍子に祖父の正夫さんが空気の抜けたバレーボールを触り、嫌な顔をして吐き捨てた。

「新田の婆さんを思い出した」

どういう意味かと柴田少年が問い詰めると、正夫さんは渋々ながら、孫に次のような話をした。

それは昭和のはじめ。当時、正夫さんはまだ16歳だった。

集落のお寺で墓地の改修工事をすることになり、檀家から働き手の男衆が集められた。正夫さんも例外ではない。16歳といえば当時は立派な労働力である。しかし若さゆえ力仕事や汚れ仕事を優先的に割り振られるため、お世辞にも嬉しいあつかいとは言えなかった。

火葬の普及も進んでいた時代だが、地方ではまだ土葬の墓が残っていた。その日も3基ほど、土葬の墓を移動しなければならなかった。

作業は順調に進み、午後も遅くなって、残るは1基の墓となった。土葬の墓である。その墓標を前に、男衆は顔を曇らせた。

「あとは新田の婆さんか……」

誰かが溜め息まじりにつぶやく。

新田の婆さんは5年前に心臓の発作で亡くなった。大柄で、でっぷりと太ったお婆さんだった。葬儀のさい、非常に手を焼いた。遺体がやたらと重いのだ。湯灌し、死装束を着せて北枕に安置するだけでも大仕事。遺体を移動させるたびに大人が数人がかりで汗だくになり、掛け声を飛ばした。葬儀が終われば男衆総出で座棺におさめ、蓋をした棺桶に縄をかけ、丸太をわたす。通常は2人がかりで担いで行くが、棺桶は持ち上がる気配すらなく、結局4人がかりで墓地まで運んだ。さらに、墓地に掘った穴へ座棺を下ろすさい、働き盛りの男3人が腰を痛めた。

5年前は子供扱いで葬儀に参加しなかった正夫さんも、その騒ぎは話に聴いて知っていた。これから掘り起こす仏様の重量を思い出し、男衆の気も重くなったわけだ。

それでも、男たちは黙々と作業を進める。座棺を掘り当て、周囲を掘り下げる。しっかりと縄をかけ、4方向に伸ばし、正夫さんを含めた4人が引っ張り上げる。

「せーの、ソレッ!」

リーダ格の男衆が放つ号令とともに、4人は渾身の力で縄を引く。大柄で太った婆さんを納めた、重い重い棺桶を持ち上げるために。

しかし、彼らは間違っていた。

暗い土の下、座棺に眠った5年間ですっかり水分が抜け、ミイラ状態となった新田の婆さんは超軽量化に成功していたのだ。

予想をはるかに超えた軽さの棺桶はなんの抵抗もなくフワリと宙に浮き、勢い余った男たちは背後にひっくり返った。

衝撃で座棺の蓋が外れ、仏様が、変わり果てたご遺体が、ポーンと飛び出した。

男衆は見た! ミイラ化した新田の婆さんが、膝を折り胸で手を組んだ姿勢のまま、スローモーションで澄み切った青空に飛ぶ、その姿を!!

遺体は垂直に跳び上がったわけではない。葬儀の際、その重量を思い知り、記憶も生々しい3人の男たちよりも、若い正夫さんは縄を引く力がほんの少し弱かった。当然、座棺は、やや正夫さんよりに傾く。そこから射出された婆さんは、やがて失速し、正夫さんめがけて落下した。

気持ち悪い、でも仏様を粗末にはできない――相反する感情に激しく心を揺さぶられながらも、正夫さんは地面に倒れたまま、落下するご遺体を抱き留めた。

「ひいいぃぃぃーっ!」

ミイラ化した婆さんの下敷きになり、半泣きで悲鳴を上げる正夫さんを、他の男衆は指をさして大笑いした。

話を聴いていた柴田少年も、そのくだりで堪え切れず笑い出した。「笑いごとじゃねーよ、このバカヤロウ!」――孫を軽く一喝して、老いた正夫さんは両の手のひらに目を落とし、溜め息とともに呟いた。

「あのとき、婆さんの皮膚に触れた感触がな、その萎びたボールにソックリなんだよ」

手にしていた合皮のバレーボールを、柴田少年は思わず放り捨てた。祖父の話には、続きがあった。

新田の婆さんが飛んだ日の夜、棺桶の引き上げに関わった男衆のうち、正夫さんを除く3人を怪奇現象が襲った。3人とも深夜、就寝中に金縛りに遭い、目を開けると胸の上にミイラ化した新田の婆さんが座っていたという。

ミイラ化してるせに、婆さんは生前同様、すごく重かったそうだ。

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