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怪談市場 第十四話

『アメ車』

車にまつわる怪談もよく聴く。たいていは、「格安の中古車を買ったら前のオーナーが非業の死を遂げており、その呪いによって……」的な展開だが、この話はちょっと違う。

ダーツバーを経営するWさんが25年前に体験した出来事だ。

「当時はバブル経済の最盛期。就職活動の学生は内定とり放題、定期預金の利息は7%超、そんな高金利でも借金して株や土地や事業に投資すりゃ確実に儲けが出た。いまと違っていい時代だったよ……」Wさんはせつない溜め息をついて過去を懐かしむ。「その頃の俺はダーツバーじゃなくてプールバーを経営してたんだ。プールバー、わかる? そう、ビリヤード場。いまの若いコには通じねーのな、プールバーって言っても」

前代未聞の好景気と折からのビリヤード・ブームでWさんのプールバーは大ヒット。1年間で県南地区に支店を3つも開く快進撃だ。当然、年収は激増し、預金通帳には生まれて初めて目にする金額が並んだ。そして、少しぐらいの贅沢なら許されるだろうと、自分への御褒美として、純白のダッジ・チャレンジャーを購入した。アメリカンニューシネマの大ファンであるWさんの、特にお気に入りの作品『バニシングポイント』に登場するアメ車である。

当然、収入が増えたぶん忙しくなった。支店を出しても経営が安定するまでは、支店長に指導したり、設備をチェックしたり、帳簿を管理したり――県南地区に散らばった3つの店舗を、Wさんは毎日のように飛び回った。

「苦にはならなかったよ。移動には憧れのチャレンジャーを転がせるんだから。カーステでゴスペルやR&Bのカセットテープをガンガン鳴らしてさ。ま、それも長くは続かなかったけど……」

事件は、Wさんのアメ車購入からわずか1週間後に起きた。

3号店へ向かう途中、国道が渋滞したさいに利用する抜け道を通行中のことだ。田んぼに囲まれた見晴らしのいい真っ直ぐな農道で、普通車がすれ違う幅も十分にある。路面には障害物や凹凸はない。

にもかかわらず、Wさんは交通事故を起こした。

視界のいい日中、通り慣れた道、スピードは出していない。よそ見もしていなければ、もちろん居眠りもしていない。なのに急にハンドルをとられ、ブレーキを踏む間もなく愛車は2m下の田んぼに転落した。

不幸中の幸いでWさんに大きな怪我はなく、軽い打ち身程度で済んだ。携帯電話がまだ普及していない時代、田んぼ道に都合よく公衆電話があるはずもなく、車で通りがかった人に頼んで警察を呼んでもらった。やがて到着した警官と、レッカー車の運転手は、「またですか」と顔を見合わせる。なるほど、少し先の四つ辻には交通安全のお地蔵さんが安置してある。見通しのいい真っ直ぐな道にもかかわらず、事故が多い場所らしい。

さて愛車のチャレンジャーはどうなったかといえば、落下のさいコンクリートの用水路に激突して足周りがひどく破損、廃車を余儀なくされた。道楽で大枚はたいた車を1週間でオシャカにしたうえ、レッカー車の費用と水田耕作の賠償金。とんだ出費に、Wさんは奥さんからひどく御目玉を頂戴した。反省したWさんはアメ車の夢を諦め、それまで使っていたライトバンで支店を回ることになる。

事故から半月ほど経過したある日、やはり3号店へ向かうため抜け道の農道を走っていると、前方にパトカーとレッカー車を見つけた。交通事故らしい。しかも、先日Wさんが事故を起こした同じ現場だ。忘れるはずもない。少し先には交通安全のお地蔵さんも確認できる。Wさんはライトバンを徐行させ、事故現場を観察する。派手な赤い車が水田に転落していた。

フォードのピックアップトラック――やはりアメ車だ。

その後もWさんは同じ道の同じ場所で数件の事故を目撃したが、すべてアメ車だった。あの日、警察官とレッカー車の運転手が「またですか」と顔を見合わせた――あれは「また事故か」という意味ではなく「またアメ車か」という意味だったのだ。

「まるであそこはアメ車の墓場さ」そう呟いてWさんは眉をしかめた。

やがてバブルは弾け、ビリヤードブームも去り、支店はすべて撤退、本店もダーツバーに変えて、Wさんは現在まで食いつないでいる。もちろんアメ車など夢のまた夢だ。

「ある日、ダーツバーの常連たちと酒飲んで世間話をしてたらよ、一人が例の“アメ車の墓場”の近所に住んでるって言うじゃねえか。おかげでさ、あの田んぼにまつわる因縁を聴くことができたよ」

Wさんは、常連客から聴いた話の一部始終を語ってくれた。

問題の場所は長い時代、底なし沼だらけの湿地帯だったが、明治政府の干拓事業により、どうにか水田として利用できるようになった。しかし地盤の緩さまでは変えられず、やたらと泥深いため田舟という小型の木造船で農作業をする有様だった。

太平洋戦争末期、その田んぼへ飛行機が落ちた。空襲のため飛来したグラマン戦闘機が高射砲の迎撃を受け、墜落したのだ。水田とはいえ、もとは底なし沼だらけの湿地である。墜落した戦闘機は、すっぽりと田んぼ深く埋まってしまった。日に日に戦況の悪化する本土に、埋もれた戦闘機を掘り返す設備も人材もない。やがて終戦を迎え、最優先課題である食糧増産のため、そのまま水田耕作が再開され、現在に至る。

「いや、ちょっと待ってください」私はWさんの説明を遮って確認する。「それじゃあ、墜落した戦闘機は、まだ田んぼに埋まったままなんですか?」

「ああ、戦闘機ばかりじゃなく、パイロットも一緒にな」

「そのパイロットの怨念が、事故の原因なんでしょうか?」

「そう思うよ。日本人がアメ車転がしてるのが、よほどムカつくんだろうな」

戦後69年。死者たちの戦争は、まだ終わっていないのかもしれない。

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