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人がいる・街がある

1.人がいる

 牛骨ラーメンが食べたい。牛骨ラーメン。はやる気持ちを抑えて今macbookの前で俺はこの文章を打ちながら書きかけの序文の句読点をつなげて牛骨ラーメンの星座を作り出そうとしている。1年ほど前、近所に牛骨ラーメンを出す店が出現した。ラーメン屋になる前はうどん屋だった。麺類の宿命からは逃れられないらしいが、豚骨は聞いたことあるし食べたこともある、俺のオムツを替えたこともあるらしい。しかし牛骨は知らなかった。牛に骨があるなんてな。長生きはしてみるもんだ。それで一度興味本位で食べてみた時は、ふーん、見た目はあっさりしてて豚骨ほどクドくはないけど、それなりにパンチも効いてるんだなー、ぐらいの感想だったのが、何度も通っているうちにすっかり虜になった。牛骨の女にされちまった。


 ラーメンでこんな経験は初めてだ。世間にラーメン狂いといわれる連中はいくらでもいるが、イマイチ彼らに共感できなかった。ラーメンというのは俺にとって積極的に食べようとするものではなかった。嫌いなわけではないが、どんな人気店のラーメンを食べたところで、80点を超える充実感をもたらしてくれなかったからだ。これが唐揚げ定食だと、同じかそれ以下の値段で簡単にカンストしてくることを思えば、どうにも食指が動かない。それに今はインスタントのクオリティが向上しまくってるので、わざわざ店で食べるものでもないな、とも感じていた。この世のラーメンの中で、サッポロ一番みそラーメンが一番うまいと信じ込んでいた。それでも2週間に一度くらいは店でラーメンを食べていたのは、ほぼ毎日の夕食を外食で済ませるなかで、数少ない選択肢としてそこにラーメンがあるのなら、わざわざそれを避ける必要もないだろうという、いかにも消極的な理由からだった。


 ところがところがところがだ、なんでだろうな、最近仕事がとても忙しい中で、すっかり疲弊した心身を癒やそうと思った時に、エンタメを摂取したり、睡眠を取ってみたところで、なかなか深い傷にまでは浸透してくれない。ソファーの隙間に入り込んだ冷房のリモコンみたいに、手の届かない、隔靴掻痒、じくじくとした、光も届かない、星も見えない、週に一度パパじゃない人が訪ねてくる、そんな痛みを慰めようとするには、「食べる」という行為が一番効果があると近年の調査で判明した。そうだ、食べるということだ。人間の死因に餓死というものが存在する以上、生きていくことに食事は密接に関係していくわけで、食べないと餓死するということは、食べまくると回復するという単純なメソッドである。ゆえに食べた、食べまくった。食べるというより、殴るに近い行為を繰り返した。地平線に沈みかけた夕陽がギラギラ照らす河原で、俺とメンタルが向かい合って殴り合う、そんな食事だった。そんな食事に、牛骨ラーメンという料理はぴったり適合した。はっきりいうがラーメンは健康に悪い。豚骨だとその現実を否応なしに見せつけてくれるが牛骨は目を逸らさせてくれる。その優しさに甘えて俺はあろうことか、牛骨ラーメン並盛りにチャーシュー4枚トッピングして、ライス(中)まで付け加えて、ものの5分程度で平らげる、そんな暴挙を週に三度は行っていた。スポロンの内容量程度にスープが残った丼のうえに割り箸を置いて、冷たい水を喉に流し込んでいる時、ラーメンズハイとでもいうのだろうか、めちゃくちゃな快感に身が震えた。カロリーを摂取して一回り大きな俺になっているはずなのに、サウナでたっぷり汗をかいて老廃物をすっかり流し出したような、なんともいえない爽快感を覚える。あと、本当は言っちゃいけないことかもしれない、上の人間に報告しないといけないことかもしれないが、なんと前述の注文だと、値段が税込でぴったり1000円になるのだ。バクだよこれは。千円札一枚でお釣りもまったく出すことなく手軽に気持ちよくなれるんだから。もう牛骨ラーメン以外のラーメンに興味を覚えない。さっきローソンに行ってきて明日の昼飯を物色しようと、インスタントラーメンの棚を眺めていたが、牛骨ラーメンなんてどこにもなかった。この世界はきっと俺にとって本当の世界じゃない。目覚めろ!目覚めろ!目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ目覚めろ!そうして今は俺の家の冷蔵庫で冷やし中華が冷えている。


2.街がある

 テレワークだとついつい猫を触りすぎてしまう。腰痛持ちなので長い間またせてごめんね椅子に座っているともう腰がば く は つ  す るーーー!


 そんでちょくちょく、コーヒーを淹れにいくとかおしっこをするとか鼻毛を切るとか自分への言い訳を取り繕いながら自室を抜け出すわけだがそんなとき居間の出窓のカゴの中で体を丸めて気持ちよさそうに眠る猫のホワンとしたオーラを纏った姿が見えるたびに近寄って顔を埋めて迷惑そうな視線を浴びる行為がやめられない。1日の猫接触量が臨界点に達しているはずだ。ごめんな。でもテレワークっていいもんだすなこうやって触りたい時に猫を触れるのだから。通勤してるとそうはいかない。職場に猫はいない。そのかわり中身が空のハンドソープのポンプがある。同僚たちはみんなこのままじゃいけないと気づいているのだが、次にここを訪れる人に後を託そうとして結局空のままの状態が長きにわたる。これが猫なら我先に競って中身を補充するんだろうな。

前に進む理由をくれ