かつてに届かない


 かなり嫉妬しやすいたちだ。


 駅のホームの行列で前に立つ高校生カップルに嫉妬しバズりにバズってるツイートに嫉妬し居酒屋の前で大騒ぎする大学生に嫉妬した。


 情愛、才能、輝かしい過去。どれも俺にはないものだ。欲しくて欲しくてたまらないが、そのための努力は特にしない。無理と分かっているからだ。リスクとリターンを天秤にかければ動かないのが安全だと分かる。そうやって生きてきたが、心は納得しない。上を上を見ようとする。天上の星に指をさす。このギャップが心身を消耗させる。上昇志向と言えば聞こえはいいが、結果が伴わければただただエネルギーを浪費するばかりだ。嫉妬に身を焦がしすぎて俺はもう、すっかり疲れてしまった。


 いい加減落ち着きたい。春の海よりもおだやかな、豚の肌よりもなだらかな、病院の床よりもひややかな心でありたい。どうすればいいのだろう?


 ボコボコ絶え間なく噴き上がる嫉妬心の底へ目を凝らすと見えてくるものがある。スペースシャトルの白い船体。


 小学6年生の頃のとある土曜日。同級生の友達ふたりが、俺の家へお泊りにやってきた。「泊まり」に来たんじゃない。「お泊り」だ。なんて甘美な響き。友人の生活が俺の家で展開されるというのはなかなかゾクゾクさせてくれる。自分の生活は日常だが他人の生活は非日常だ。


 母の作る夕食を食べ終わると、今は祖父母の仏壇が置いてある一階の和室に布団を三つ敷いた。二つの布団は隣同士同じ方向に並べ、6畳しかない部屋だから最後の一つは二つの布団の上側に横向きで置く。自室は2階にあったが、その日は俺も和室で一緒に寝ることにした。自分の家なのに、まるで旅館に来たみたいでとても興奮したのを覚えている。俺達は各々布団に寝転んだままお菓子を食べたり話をしたり、友達が潜る布団に手を突っ込んで足をくすぐったり、それに飽きると気まぐれにテレビをつけてニュースを眺めたりした。いつ眠りについたのかも分からない。楽しい夜は優しく背中を叩く。


 翌日の朝。母は子どもたちを車に乗せて、隣県の福岡へ向かっていた。目的地は「スペースワールド」。宇宙をテーマにした九州最大級の遊園地で、園内には実物大のスペースシャトルの模型がそびえ立ち一際目を惹く。土産として宇宙食なんかも売っていた。九州の小学校の修学旅行先として定番のスポットだった。


 これから遊びに行くのだ、そこへ。普段は学校やそれぞれの家でしか会わない友達と。絶対楽しいに決まっている。もはや約束されている。サービスエリアのソフトクリームもジェットコースターもレストランの割高なカレーも帰りの渋滞も、骨の髄までしゃぶりつくす自信がある。


 しかし、その車内に俺の姿はなかった。


 その時俺は、近所の卓球クラブの練習場で、竹竿を片手に怒鳴るコーチに追い立てられながら、卓球台の周りをひたすらダッシュしていた。


 小学生時代、毎週水、土、日の週3回で卓球クラブに通っていた。その日は日曜日。皆が遊園地で楽しく遊んでいるときも、俺はいつもと変わらず練習に励んでいたのだ。別にやりたくてやってるわけじゃない。


 流石にその日くらいは休んだら?と思うかもしれないが無理な話だった。この卓球クラブは地元のスポーツ強豪校へ生徒を何人も送り出している本格的なところで、一日たりとも休むことができないほど厳しかった。練習内容もとにかくハードの一言に尽きる。朝から夕方までみっちりシゴかれ、ちょっとでも手を抜こうとすると怒号が飛び、酷いときには竹竿で思い切り叩かれた。


 運動神経がとにかく悪く、学校のマラソン大会も同学年全員から拍手で迎えられるタイプの俺がそんな環境についていけるわけがない。話が違う。習い始めたのは小学5年生のときだった。なんとなく「卓球って野球やサッカーより楽そうだしやってみたいな」程度の興味を抱いていた時に、ちょうど親が近所の卓球クラブで生徒を募集してると教えてくれたので門を叩いた。最初の頃は優しく指導してくれた。あれ?これなら楽勝じゃん、続けられそう!というナメた気持ちが伝わったのか。3ヶ月ほどで突如豹変。上級者と同じ練習メニューに組み込まれた。あれ?と戸惑っているうちにどんどんと追い込まれ、年下の生徒よりもずっと下手くそであるのにも関わらず、「年長者としての責任感を持ってほしい」という訳のわからない理由でキャプテンに任命されてしまった。ペンホルダーのラケットを愛用してるくせにペンの持ち方がずっと間違ってるキャプテンに、いったい誰がついていくのか。


 当然そのうち心身ともに限界を迎え、辞めようとしたことは何度もあった。しかし辞められなかった。クラブの経営者でもあるコーチに「辞めたい」と告げるたび、俺は古い石油ストーブと机がひとつだけの小部屋に連れ込まれ、低く唸るような声でひたすら脅された。


「またそうやって逃げるんか。勉強があるから?違うだろ、お前はただ怠けたいだけだろ。ちょっと練習がイヤになったくらいで、お前そんな簡単に逃げるようじゃこの先の人生やっていけると思ってんのか?中学高校と進む中で、逃げグセってのは一生お前に付き纏うぞ。絶対ダメになる。ロクな人生歩まないぞ、お前は。分かってんのか。おい、こっち見ろ」


 俺は石油ストーブの格子から漏れるオレンジ色の明かりだけをじっと見つめていた。揺らぐ視界。彼の目を見れば途端に恐ろしいことが始まりそうで首が動かせない。もう始まってるのに。コーチはとにかく怖かった。180cmを超える長身でガタイも良く、眼鏡の奥の眼光は狼のように鋭く、短髪で顎髭をたくわえていて。King Gnuのメンバーが全員合体してめちゃくちゃ鍛えたような風貌と言えば分かるだろうか。分かるわけない。要するに、ただそこに存在するだけで凶器のように思えてくる人だった。そんな人に脅され続けて冷静な判断など出来るはずもない。一種の洗脳だ。本心ではぜんぜん納得できないのに、どう見ても俺が悪いとしか思えなくなってしまう。結局は、すみませんでした、もう少しここで頑張らせてくださいと答えるしかなかった。


 タイムマシンで過去に戻れるならあの日の俺に言ってやりたい。逃げてもいいのだと。むしろ、後ろを振り返らず全速力で逃げるべきだった。逃げずに立ち向かい続けた結果プロの卓球選手として活躍できたのなら確かに意味はあった。世界の強豪選手相手に渡り合い、学研のCMに抜擢されて合成でSDガンダムみたいな体型にされたのならあの苦しみも必要な糧だったと胸を張れる。


 だが現状はどうだ?小さな会社のヒラ社員としてうだつの上がらない日々を過ごし、30歳近くになってジャンプを夜ふかしして読んだせいで寝坊して遅刻するカスの極北だ。(これは本当に反省しているのでその日のうちにジャスコで目覚ましを購入した) なあコーチ、あの日あんたの言うことに従った結果がこれだ。満足か?さあ返してくれ。


 そうだ、逃げるべきだったのだ。


 卓球クラブには中1まで通っていたが、ある時、学習塾の体験講習のためにどうしても休まないといけない日があった。休みます、と確かに連絡して了承も貰ったはずなのに、後日、練習前のミーティングでコーチが突然怒鳴り声をあげた。


「なんでお前この前休んだんか?キャプテンとしての自覚あるんか!?」


 え?と困惑した次の瞬間、顔面へ飛んでくる鉄拳。バランスを崩し、後方のフェンスに勢い良く激突する俺。後頭部に鋭い痛みを感じ、手で触れるとヌルヌルとした感触が。恐る恐る、その手を眼前へ持ってくると赤い液体で濡れていた。恐怖とは違う混沌とした感情が俺を襲う。この状況が理解できない。教えてくれ。なんの因果で俺は頭から血を流さなきゃいけないのか。


 言っておくがこれは21世紀以降に起きた出来事である。とうにウサギ跳びと共に滅んだはずの世界がここには未だ存在した。これほど理不尽にストイックな卓球クラブが、「オーイ!みんなでワイワイ楽しくピンポンしよ〜ぜ」みたいな顔して人里に紛れ込まないでくれ。


 話がかなり逸れてしまった。とにかく、友達と遊ぶために練習を休むなんてことはもってのほかで、後ろ髪をもぎ取られるかのような思いで俺はクラブへ向かうしかなかったのだ。せめてお泊まりだけで済ませてれば良かったのに。それなら残念だなの一言で済んだ。俺と友達は少なくともイーブンでいられた。なんで俺がいないのに、その母と友人だけで遊園地行くんだよ。おかしいだろ。


 夜に近い夕方。泣きはらした目を擦りつつ俺は帰宅する。居間では母が出迎えてくれた。友達二人はもう自分の家へ帰ったらしい。母は白い紙包みを俺に手渡した。表にはSPACE WORLDの文字が印刷されている。お土産だ。友達が俺のために選んでくれたとのこと。中を開いてみるとそこには、金色の記念キーホルダーと、NASAが開発したグニャグニャに曲げられる鉛筆が入っていた。


 受け取りながら俺は、たぶん、すごい顔をしていた。ありがとうとも、うれしいとも言ったかもしれない。喜んだ表情を浮かべようとしたかもしれない。けれどその奥で、次々と湧き上がる悔しさを表に出すまいと必死に抗っていた。なぜ俺はその場所にいなかったのか。すこしでも意識を昼間のスペースワールドへ伸ばそうとして届かなくて脳がちぎれそうだ。


 お土産を受け取る方はいつだってつらいものだ。どんな精巧なキーホルダーも絶品なおまんじゅうも俺をその場所へ連れてってくれるわけじゃない。そこで起きたトラブルもハプニングも何一つ共有できない。二人は何を想ってこのお土産を選んでくれたのだろう。土産売り場のひな壇状に並んだ宇宙食をひとつひとつ手に取り、何を囁きあったのか。アホみたいな鉛筆を曲げて曲げてNTTのマークみたいにしてケラケラ笑い合って、そこに俺が介在できる余地はあったか?僕も選ぶ方に回りたかった。お土産は「旅行のおすそ分け」ではなく「行ってきた証拠」に過ぎないのだな。


 今では俺は、お土産を渡しあう関係はもはや友人とは呼べないと思っている。実際そんなことはないのだろうが、お土産を渡す、あるいは渡される、その間には妙なよそよそしさというか、隔絶を感じてしまう。物品なしでも成立していた関係が、モノを通すことでむしろ抵抗を生むようになったというか。親愛を再確認するその無粋さが、妙に気恥ずかしくていやらしい。この出来事がきっかけでそう思うようになったのかもしれない。


 それで母は?母はどうだったのか?腹を痛めて産んでない方の子供二人が楽しく遊ぶ様子を見て、そして今頃は竹竿でしばかれ涙を浮かべているであろう俺を思い、何を考えたのか。なんて残酷なことをしてしまったのだろう、あの子のことを思えば無理矢理にでも連れてくれば良かった、あたしったら母親失格ね、帰ったら力一杯抱きしめてあげよう、親子のスキンシップしてあげなきゃ、と忸怩たる思いに浸ったか?



 俺がいない物足りなさを常に抱えて、園内を巡ってくれたか?



 いや、関係ない。無意味だ。彼らが何を考えようと、この魂は救われない。


 今でも後悔している。思い出すたびに悔しくて仕方がない。時間は解決してくれない。時を隔てても遠く離れていくだけで、振り返ればそこに確かにあるのだから。折に触れてはじくじく痛む。


 思えばそれ以降、俺の転落が始まった気がする。中学でいじめに遭い、高校は留年し、社会人になってもメンタルを病み休職した。……だなんて責任転嫁もしたくないが、一つ考えていることがある。


 俺の嫉妬癖は、上述の出来事にすべて起因してるのではないか。


 あの時取り逃がした大きな何かを埋め合わせようとする焦りが、俺を嫉妬に駆り立ててるんじゃないか。「なんでこいつばかり」も「俺のほうがすごいのに」も、つまるところ「俺だってスペースワールドに行きたかったのに」と翻訳できそうな気がする。


 手の届かないものに見切りをつけ現状に満足しようとするたび、11歳の俺が心の奥で恨みがましく叫ぶ。


「おい!俺は、スペースワールドに行けなかったんだぞ……」


 分かってる。仕方ないよな。お前があの日受けた傷は、20年近く経っても癒えてないんだものな。


 もしかしてこの傷を癒せるかもしれない方法が一つだけある。これからまた、気の合う友人とお泊まりして、スペースワールドで思いっきり遊ぶことだ。やらないだけで、実はまだ間に合うのかもしれない。ヒルナンデスのロケでもないのにアラサーで頭頂部も薄くなってきた俺が遊園地ではしゃぐというのは何重もの正当化が必要だけれど、11歳の俺の魂が安らかに成仏してくれなら儲けもんだ。


 ただ、それにはいくつかの問題が立ち塞がっている。


 まず一つ、今現在はまだコロナ禍の状況が続いている。ワクチン供給が始まったものの、いつ収束するかは分からない。当然、遠出や旅行なんて当分難しいだろう。


 そして何より肝心なことは。








スペースワールド(SPACE WORLD)は、かつて福岡県北九州市八幡東区に存在した宇宙のテーマパーク。「スペワ」という愛称で親しまれた。2017年の大晦日から翌2018年元旦にかけて実施されたカウントダウンイベントをもって営業を終了し、2018年1月1日の午前2時に閉園した[3]。閉園時の運営会社だった株式会社ジャパンパーク&リゾートは姫路セントラルパーク内に移転した上で存続し、加森観光グループの西日本地域での各種施設運営を行っている。


スペースワールドは数年前に廃業し、今では解体され跡形も残ってないということだ。



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夢顎んく
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