発信するということ
1月下旬に大学の同窓会があった。
同級生が大学の教授になるので、そのお祝いをかねて同窓会をするから、出席するんだぞ!と、学生時代の同じ班だった友人から職場に直接電話があったので、実はVリーグの試合観戦を入れたかったのだけれど、断腸の思いで出席した。
そして、とても楽しかった。
(首位攻防戦の日だったので、Vリーグ公式サイトからオンラインリザルトで経過をちょこちょこ確認しながらではあったけれど、まさかのスト勝ちという予想外の展開で試合自体も短かったことも助かった。)
そして、楽しすぎて、思わず、久しぶりに会った友達達に、私の趣味の名刺を渡して、今、自分が何にハマっているのかを開示してしまった。(その名刺の表は推しのアップの写真、裏にはSNSのアドレスが記載)
私のSNSは完全趣味モードなのと、匿名性をいかし仕事関連の事は一切触れていないので、やはり学生時代の友達は仕事とは別物という感覚なのだと自分の行動を分析してみた。
そこでの友達達の反応が、おまえ凄いな!だった。
何が凄いのかというと、外部に発信するということをしていることに対してだった。
私の場合、SNSは防備録的な意味合いが強く、外部に発信するという感覚に乏しかったのだが、最近、どちらもフォロワー数が増えて、防備録として記載していても、それが情報として捉えられている、という体験となって返ってくることも増えてきたので、外部に発信するという意識が芽生えているのは事実。
外部に発信する=言葉を選ぶということになっているわけ。
それって、とても頭を使うこと。日本語って難しいし、読み手の心情によって捉えられ方も変わる。ただ、私はすべての人に同意して貰おうとは思っていないし、違う意見はあって良いとも思っている。
でも、違う意見に、ああそういう考え方ってあるんだ、新鮮とは思うけれど、それに対して反応することはほとんどしていない。
もちろん、発信したいという思いに繋がれば反応することもあるが、そこまで気持ちが動かされることの方が多くない。
私のSNSをどれくらいの人が見ているのかはわからないし、見ている人すべてが同じ考えなわけがないし、いろんな考え方があって良いと思っている。
ということで、これからも主にバレーボールについて書いていきたいと思う。もちろん書きたいことが出てきたらではあるが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?