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ボーイスカウトの思い出、そなえよつねに!

あくまでも自分の思い出として書いているので、現役の方が見たら不快に思うかもしれませんが、お許しください

花はかおるよー♫


実は僕もカブスカウトとボーイスカウトに入っていました。
手旗信号も苦手だし地図の数字を読むのも苦手で、覚えが遅くて大変な思いをした思い出があります。そんな中でもオーバーナイトハイキングやしっぽ取りなどは好きでしたね


前回の自伝などを読んだ方は解るかもしれないけど
不思議とからかわれる人間で、必ず、最初に天敵みたいのが現れますね。(^-^)

カブスカウトでも最初の方ではからかわれたりしていました、カブスカウトはデンマザー、デンダットとゆうお手伝いのお母さん、お父さんがいたので、キャンプの時など、しっかりしたデンダットの方が、みんなを座らせて注意をしたり、していたので、カブ時代はそうでもなかったかな。
カブスカウトのキャンプはテントではなく普通の民宿みたいな所に泊まります。

さらに、カブからボーイに上がったときの班の班長はカブの時と同じ班長になってしまい、本当に嫌なやつで
良くからかわれた思い出があるので、あまり良い思いではありませんね、僕は当時、行動がトロイし、覚えも悪いので、からかいたくなる所があるのは自分でも解りますよ(^-^)

知っている人は知ってると思うけど!

カブスカウトは小5で終わり、6年生から―中2までがボーイだったと思います。
カブの時、アスレティックの遠足に行った時、1学年上の、少し太めの先輩がなかなかクリアできなくて、その次にやる僕もトロイくてなかなか出来なかったんだけど、先輩のK君は僕が終わるまで待っててくれて、それ以降仲良くなりました

そうなんです、僕はとろかったんです、どんくさかったんです(^-^)

ボーイに上がり、さっきも書きましたが、カブの時、からかわれていたS班長の班になってしまいました。
同期の人間も嫌なやつがいて、からかってきました

ボーイスカウトに上がり初めてのキャンプへ行った時、
テントの設営とか手伝わせてくれず立っていたら、他のリーダーが「彼にも何かやらせてやれよ」と言って来たらS班長は「あいつはいいんすっよ」と捨て台詞を吐きました。
リーダーは苦笑しながら「そんなこと言うなよ」と言ってたかな。

ほら、普通の社会でも、お前がやるとミスが増えるから何もせんでくれ!って人いるでしょー
そんな感じ

食事中、S班長は「知ってるこれがコンドームなんだよ」とか、普通のネギみたいのを箸で持って言って来きて、からかってみたり、当時は全然、性的な事を知らなかった僕は、意味が解らず???でした。
まーそれが面白かったんだろうね


キャンプの時、スカウトだけでハイキングを計画してハイキングをすることになり、歩いて行けるテニスコートがあり、そこまで行こうとゆうことになりました、男だけだったから、パンチら見たさにそこになったみたいですよ(^-^)
途中、僕が疲れたから休憩みたいな感じにもなりましたね
ほんと僕は、弱かったんです、今では考えられないけど

この時のハイキングだったか忘れてしまったけど
希望者だけが、急な崖をクライミングみたいのを出来ることになり、班長は行くみたいなので自分は先に戻ることにして、ゆっくりしていたら

こんな感じだったかな?


隣の班から手伝ってくれないか?とヘルプが来て
一生懸命やっていたら、そこの班の先輩が「こんなに一生懸命やってくれるのに、なんでからかうんだろーな~」と言ってくれて、他の方が、今度なんかやられたら、こうしろとか、ああ言ってごらんといろいろアドバイスをくれたのを覚えています。
そう、違う班にも知れ渡っていたのです

そうこうしているとクライミング組が戻って来て
「あーキタかりてたのかー」と隣の班の方々が言ってたかな。

自分の班の先輩に呼ばれて、戻ると、班長に呼び出され、水道で手を洗ったりしていた、僕が「景色綺麗でしたか?」と言ったら班長が
「ああ、」と言い「隣手伝ってたの?」と聞かれ
「はい、頼まれたので」と答えると「そんなの行かなくていいよ!」とちょとつけんどんな感じで言われたのを覚えています、これは彼の優しさなのかもしれないけど、なんか違うと思いましたね

5年生ぐらいの話ですね、、、
キャンプで良かった思い出は、最終日の夜にキャンプファイヤーをやるのだけど,火を囲んで、みんなで型を組んで、今日の日はさようならを歌うんですよ
真ん中にいる隊長の合図で、ハミングに変わり、身体を揺らしながら、んーんんーとハミングで、今日の日はさようならをやるんです、あの瞬間は、いままでの嫌なことを忘れることが出来て、好きでしたね

日航機の墜落事故もこのあたりだったのではないでしょうか?上を見ると飛行機やヘリコプターが沢山飛んでいて、1つ上の先輩が「近くの山で飛行機が墜落したらしいよ」なんて声が聞こえて来ました。

オーバーナイトハイキング
ボーイスカウトには夜中に歩き、オーバーナイトハイキングとゆうのがありました、大森駅そばの神社からスタートで多摩川の河川敷がゴールだったかな、初年度は相変わらずな感じで2年目は仲の良い、F先輩と一緒だったのでオーバナイトも割と楽しく過ごせました

3年目、最上級生になった時のオーバナイトが大変で、
僕は一つの班で副班長とゆう名の次長になっていたのだけど、班長が行けないから、お前は行ってくれ○○は来ると思うからと言われて
仕方なしに行くことにしたのですが、僕の班は僕以外来ないのです?

リーダーとして戻って来ていたS班長から「電話かけてみな」と言われて、番号が解らないので、家に電話して、番号を教わり、来ると言っていた者に電話したら「風邪を引いて来れない」とのことでした。

ボーイは整列した時に、班長が、前にいるリーダーに総員何名、出席何名ですと報告するのですが、僕が前に出ようとしたら、さすがにSさんは「お前はいいよ」と言いましたね

隣の班も3人しかいなかったので、そこに混ざり4人で行動をしました。

ゴールの多摩川の河川敷で、橋の小さな光だけで、暗闇の中で、しっぽとり大会がはじまりました、これは楽しかったですねー
休憩していると、途中から来た、隊長さんが
「おまえの班、今日一人なんだってー」と言われ
「ハイ」と答えて、「まーオーバナイト楽しいもんな!」と励ましてくれましたね。

その後、また事件が起きます、僕がネッカーチーフにつけていたリングを落としてしまい、全員で暗闇の中探すことになりました、ほんと、おちょこちょいですよ

見当たらないので1人のリーダが「これあげるよ」とリングをくれました。
帰りはみんなで集合場所とは違う神社まで行き、解散なのですが、整列している時、隊長が「キタ!、Hにさー俺の所に電話するように言ってくれ!」と言われました

朝、少し休んでから電話をかけて、もろもろ報告をして、「○○さんが、電話しろってさ」と伝えました
いやーこの時は疲れました

1年目の春のキャンプ
また少し、1年目に戻ります、ボーイには違う班の同学年と一緒に過ごす、キャンプがありました。
まだ雪が残る山梨の方だったと思うけど、

僕は朝が弱くて、気持ち悪くなることが多くて、しばしば1日遅れでキャンプに行くことが多かったです

ついた時、テントに向かい、着替えて外に出るんだけど、寒い中トレーナー1枚と薄い靴下のせいで、すごい寒かったことを覚えています、舐めてましたね(^-^)
でも帰りの待ち時間、後ろを振り返ると大きな富士山が見えて、癒された記憶があります

晴天の青空の中に大きな富士山がとても綺麗でした
しかし、家に帰り、なんだか足の指が動かない事に気ずき、医者に行ったら、軽い凍傷と言われて、この年で凍傷を経験してしまいました。

ここまでデカくはなかったかな

2年目のキャンプ
これは確か普通のキャンプだったと思うけど
前にも書いたけど、遅れて行くことが多くて、、後輩と一緒に鈍行に乗り、土合に向かったことがありました、土合は、とにかく階段が多くて、長くて、僕は前日、バスで荷物を運んでいたので、少なかったけど、後輩は大きなリュック(探検家のようなやつ)だったので、途中で変わってしょってあげたりしました。
交代しながら上がって行き、駅の改札を出て待っていると、1人のリーダーがトラックで向かいに来てくれました。

で、そのリーダが、また無茶ぶりを言って来ました
「ガソリンスタンドで新聞もらってきてくれない?」と言われ、てっきり、いつのやつでもいいのかと思ったら、なんと今日のだと言われました。

ガソリンスタンドに止まり、2つぐらい周り、その一つに心優しい店員さんが今日の新聞をくれました。
リーダーが「サンキューやっぱスカウトが行くと違なー」と言っていました、たんなるつかいっぱですね。
コンビニなどがない町だから仕方ないかもしれないけどさ

この頃からこうゆうことをやっていたので、使いっばの免疫を鍛えられたかもね

キャンプ場につき、少したってからリーダーたちの野営地に行ったら、余裕で新聞を読んでいました(笑)
ボーイでもこんな感じですよ
昭和って感じだね

最後の同学年キャンプ
僕の嫌いなSさんも来ていました、この時も雪が残る場所だった記憶があります

この時も事件が起きます、前日に食当は何時に来るようにと言われていました、早く目覚めたぼくは少しだけ早く、荷物を持ち、リーダのテントまで行きました。

少し待っていると、Sさんがテントを開けて
「おい、お前、Fさん起こしたのかよ」と割と強めに聞かれて「いいえ起こしてないです」と言ったら、「起こせよ!」と言いながら隣のテントを開けてSさんが「Fさん、食当きてますよ」と身体を揺らして起こしていました。
そしたら「あ、わりー」と眠そうな感じで出てきました
「あれ、お前らだけ」と言い、ボーイは笛で呼ぶので、ピーピーピピ―ピと後輩の班を呼び出しました。

走ってやってきた後輩に対して、担当のリーダーは
「お前らおせーよ」と捨て台詞をいいました、自分も寝坊したくせにね(^-^)ほんと理不尽な時代ですよ

ボーイは自衛隊の新人訓練のように、夜中に起こされる訓練があるのです、なのでつねに、着替えやライトやネッカチーフなどはそばにおいて置かなければなりません、
また、僕はやってしまい!同学年のキャンプの時に、夜中に起こされ、なかなか出てこない僕らは、テントの前で正座させられました、さらに僕は、またリングをテントの中になくしてしまい、探していてビリッケツになりました、リーダーからも「あったかーいいから出てこい」と言われて出て行き、さすがに、みんなに申し上げなくて!ごめん!と誤りましたね!
でも!みんな、いや!いいよと許してくれました、自分達も遅れたからかもしれません


ボーイに入って良かったのは

ボーイスカウトはよく、歌を歌わされるんですよ、連盟歌をはじめ、ハイキングの歌、星座の歌などは好きだったなー
あと、スカウトは○○でなければならないと13ぐらいの誓があり、それを覚えなければならない時がアリ、それは大変だった記憶があるけど、上に書いたようなことがあるので、ほぼ関係ないよね(^-^)

ボーイに入って良かったのは、なんだか声が大きくなったり、返事とかも出来る用になったね。
やったことのない手旗信号やロープ結びなど学べて良かったかなー、あとテント生活、寝袋生活などで来たのは勉強になったかなー。
モールス信号なども習いたかったなー

今はまるで役には立ってはないけど、手旗信号などはもっと真剣に勉強しておけば良かったなーと思ったな
山登りやハイキングなどに役に立ちそうでしょ

あと赤い羽根の共同募金の協力で、駅前で募金活動をしたのも良く覚えています、大きな声で「赤い羽根の共同募金をお願いしまーす」と声出しの訓練にもなったな

少し前に戻り、思い出した事があります、これはカブスカウト時代、かな、、2年目の4年生の時、この班は悪い事をする連中がいて、大田区内で、謎解きをしながら、進むゲーム感覚のハイキングがあり、矢印でこっちに進めとか地面に書いてあったりするのを、わざと矢印をもう一つ書いたり、いたずらをしていました。

デンマザーも入ったばかりで、そんなことしちゃ駄目なんじゃないとか軽く言うだけでした、その行動がばれて、集合場所に戻った時、僕らの班が前に出て、列になって謝るとゆうのがありました、誰が何をやったとか言う時に、デンマザーが「キタ君はなにもやってませんよ」と言ってくだったのを思い出しました、僕はあまり群れないんだけど、注意も出来ない人間でした

一応、カブとボーイで1回ずつ模範表彰をされてるんですよ

また、何かを想いだしたら書くかもしれません

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