頬粘膜がん 323日目 気難しい野良猫のような生き方


 頬粘膜癌 323日目。

 血圧 114-80 mmHg
 血糖 - mg/dL (朝食前)
 酸素 99 %
 脈拍 69 拍/分
 体温 36.4 ℃
 体重 70.2 kg

 今日はリハビリ通院の日でお休みをいただいている。

 朝一から口腔リハビリの為、STの先生と面談。
 大学病院は電子カルテになっているのでPET検査の結果についても共有されており、来月18日のオペの予約についても開示済みだ。
 という事で「入院することになっちゃいましたか」とSTの先生より。まぁ症状についての話をしながら入院時、あるいは退院後の口腔リハについての打ち合わせ。術式と唾液線についての話から、今後の唾液の出についての検討もした。
 さて、やっぱりどうしても唾液の出は悪くなるのは仕方がない。実際に、口腔癌での再発もやはりそれなりに対応されている様子からも、転移自体はそこそこある事例という事で。
 ドクターやSTなどのリハビリスタッフの方と転移について話す分にはもしかしたらとても冷静に話ができているんじゃないかと思う。頭も充分に回っていて必用な情報をしっかり受け取り、それについて頭の中で検討し相手にフィードバックすることで今後の病気との付き合い方について一緒に考えている感じだ。
 調べて、評価して、その結果から次の打つべき手についてさらに決定していくプロセスである。


 取りあえず、今日のリハビリ時の数値的な評価については、リハ前8mm、自動運動語12mm、器具を使った他動運動後13mm。前回と全く同じ数値で、取りあえずの一番の目標であるところの現状維持については守られていると言うところ。



 リハビリ後は、地元のがんサロンへ顔をだす。

 今日は音楽好きのメンバーが集まっての倶楽部活動である。僕も自前のベースを持って参加。早めに行って、少し自主練習。12月にある7周年記念の時にミニライブをやる事になった。課題曲は3曲。僕自身は通常は、平日の練習日には参加できないので、本番に向けて練習強化の為に土曜日の練習日を2日ほど設定してもらった。

 その日には参加できるのでそれで本番に向けての合わせの練習に参加できればと思う。ちょっとだけ真面目に自主練しないとねw



 サロンに行くと、理事長さん(ブログを読んでくれている)から、転移の経緯はブログで読んだので知っているけど大丈夫か?と気を遣っていただいた。話したいことがあれば話しませんか的なアプローチを受ける。


 なかなか、難しいね。


 主治医やリハの先生と自分の症状について話すのは全然OKだ。とても冷静に未来にういて話ができる。付き合いの長い、仕事のパートナーとか、取引先の方と話すように同じ目的に向かって進む感じがある。


 自分の家族や兄妹、あるいは親しい友人とは、これも多分全然OKだ。

 家族や親族、親しい友人達については話す義務だってあると思う。一緒に闘っている場合もあるし、あるいは良く理解してくれている人達だ。僕も彼ら・彼女らの事は良く知っている。ブログを通じてそれなりに付き合いのある方々も僕の中ではこのカテゴリーに入っていると思う。大切な人達だ。勇気を貰ったりすることも多い。ありがたい事だ。

 頭頸部がんの患者会であるNicottoでのzoomミィーティングなんかもこのカテゴリーかもしれない。同志と感じるつながりの人達。


 で、おそらくなんだけれど、僕はそれ以外の知人について、心配されたり、気を遣われたり、話を聞くよとか言われるのはどうも気が乗らないんだろうなぁという事を身にしみて感じたりした。

 僕が経験したことを、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思って共有することは全然構わない。むしろそれは進んで行っていこうと思っている事のひとつだ。

 だが、どうやら親しくなって心を許した相手以外にはそうそう簡単に心は開けないもんなんだなぁと自覚した。


 いや、今日訪問したがんサロンはもちろん、それ以外でも知人の方達が転移の事で僕の力になってくれようとする事はとてもありがたい事だったりするんだろうと思う。人によってはそれによって、すごく救われて、楽になったりするのかもしれない。それはとても尊い事だ。

 いろんな人が癌サバイバーと呼ばれる方を支援してくれる事に感謝する。


 でも、それほど仲良しになった人以外にはどうやら僕は簡単に心を開くことは難しいようだ。彼ら・彼女らの期待に応えなくちゃと無意識に・あるいは意識的にがんの患者を演じてしまいそうになる。それはたぶん、僕の求めているものでは無いんだね。


 くそ面倒くさい人間だと自分でも多少思う。

 とても心配してくれる人がいるのなら、そのまま素直にその心配に応えたらいいだろうにとも考えたりはする。でも、そう思ったりはできないなぁ。

 話すべき相手と話すべき時があり、そして話すべき内容はこれまでの心のやりとりの量で決まる。それは、費やした時間じゃなく、密度だ。あるいは僕が感じた濃度といってもいいのかもしれない。


 くそ面倒くさい人間だと自分でも多少思う。でも、多少だ。

 思いのままに。僕がそう感じる方向にしか僕の心は動かない。


 みんながみんなそうだとは思わないけれど、がん患者はあんがい気難しい野良猫のようなものかもしれない。そっちが構いたいかどうかなんてのは関係ないのだ。こちらがどう構われたいかどうか。そんな風にしかうまく生きられないらしい。


 今日、優しい心を示してくれた方々に、うまく応えられなかった事に少し申し訳なく思う。


 ”智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。”と書いたのは夏目漱石だったか。



 今日もいい1日であった。


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